多民族共生人権教育センター
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インタビュー ハルモニたちの想い −在日コリアン高齢者たちの過去・現在・未来−

ハルモニたちの想い −在日コリアン高齢者たちの過去・現在・未来−

 今号は、当センター事務局の2階にある在日コリアン高齢者デイサービス「ぱだ」を利用している3名のハルモニ(おばあちゃん)にインタビューしました。
 ハルモニたちが日本に来た時の話や、無年金判決を迎えての想いなど語ってくれました。

インタビューに答えていただいた3名のハルモニたち
 ・韓良心(ハン ヤンシム)さん(以下:韓)                 
 ・康承春(カン スンチュン)さん(以下:康)      
 ・表斗利(ピョ トゥリ)さん (以下:表)
 〔インタビュアー 事務局:全(チョン)〕

●言葉の苦労はどのように克服してきたのですか?

韓:
韓良心さん
韓良心さん
はじめは言葉も知らないし、お金のことも知らなかった。初めて日本に来たとき、24歳の時でした。全然知らないから、家で仕事して、外にも行かないから主人と主人の弟が、「じっと座っていたら言葉覚えられないから、買い物に行って欲しいものあったら「コレ」って言えば良いよ」って教えてくれました。「『コレ』って言って、お金も余分に持って行って釣り貰え」って言われた。そんな事をして、どうやこうやして言葉を覚えました。
全: 弟さんに直接教えてもらった言葉ってありますか?
韓: 「嫌」とか「何や」とか。色々あります。
全: ちょっとずつ時間をかけて喋れるようになったんですね?
韓: そうやね。それでも自然に覚えました。結構な歳で(日本に)来ましたけど終戦なって韓国に帰った事もあるけど、日本語はだいぶ覚えていました。
康: 子どもが小さかったらそれにつられて親が覚える。
韓: うちの娘は、2歳の時に日本に来たけど、言葉を全然知らない。朝鮮語も知らんし日本語も知らなかった。お父さんが散髪屋連れて行って、「この子、朝鮮語言うたらどないしよ」と思ったらしいですけど、娘は何にも、よう喋らなかったみたいです。あの子は先に、日本語を覚えてしまった。
康: 子どもは覚えるのが早いね。
韓: ほんまに言葉は、初めはちょっと苦労しましたね。
全: 表さんはどうですか?家の中では朝鮮語が飛び交っていたんじゃないですか?
表: 使ったことがない。うちの実家の方は今で言うお屋敷町で、憲兵やそんなのが住んでいたから。
全: ハルモニの実家はどこですか?
表: 三重県の津です。
康: 今70歳。日本生まれの日本育ち、学校も全部日本。中学校から高校から全部市立。

●日本では、どんな仕事をしてきたのですか?

韓: 着物着て履く草履の仕事をしました。日本に来たら主人がその仕事をしていて一緒にずっとそこでやっていました。
 戦争が終わって、疎開先の名古屋から大阪に帰ってくると、主人が草履の底、芯を作る工場をしていました。その頃停電がよくあり、電気が消えたら遊んで、電気がついたら仕事をしていました。あと、主人が阿部野橋でご飯屋さんをしました。主人はお金を家に入れてくれないから、タバコ、砂糖とか配給物資を売って生計をたてて、親子3人暮らしました。阿部野橋のご飯屋はやっぱりダメだから、主人はまた戻ってきて草履を作りました。草履を作る仕事をしている間は、何とか食べていけました。
 お菓子の問屋もしました。当時は秤も使わず、手で量って、そのまま袋にも入れず渡していました。2年くらいしました。引越しして、また草履屋をしました。
 主人が45歳で亡くなり、男手がないから草履の工場の仕事がダメになり、機械を売ってちょっとお金にしました大方50歳になって私が、焼肉屋に働きに行きました。焼肉屋は1ヶ所10年くらい勤めました。南巽の店では11年か12年くらい勤めました。76歳まで勤めました。そして、年をとったので辞めました。それでも、厚生年金や保険が無いとこばかりで保険が無いです。今は足が悪くなって何もしていません。それでも、昔ちょっとずつ貯めて、電気代も月800円まで切り詰めたこともありました。
表: 私は日本生まれの日本育ちで仕事をした事が無いです。旦那が死んでから仕事をしました。
韓: 私も旦那が死んでから初めてです。
全: 表さんは何歳のときから働き始めたんですか?
表: 働き始めたのは45歳。
全: それはどんな仕事ですか?
表: シャープの仕事。精密工。今思ったら、小さな品物。数を数えようと思ったら、爪の間に入るくらい小さな物でした。バネを抑える物やったと思います。医療器具とかに使っているし、この前見たらコンピュータに入ってあって、自分はこんなん作ってたんやって思いました。
全: テレビ以外の部品もされたのですね?
表: そう。電気関係の部品をしました。
全: それはずっとされてきたんですか?
表: 13年やりました。そこの社長がええ人で、主人が亡くなったと言うたらすぐ社員にしてくれました。年金もらえるぐらい働きました。
韓: 年金はあるんやね?
表: ある。休業保障も1年半もらいました。「朝鮮の人たちは法事や何だと言って休むからダメだ」と言うから、私は3年間、皆勤賞をとって信用つけました。
康: 私は離婚したのが今から25年くらい前になります。その前は専業主婦だったけど、ツッカケの内職をし、針子をして針場を作り、針子さん5〜6人おいて私がオーナーをしていました。旦那はタクシーの運転手で全然、家にお金入れてくれず、子ども7人を育てるため針場を約10年しました。
韓: 昔は針子、お金良かったよ。
康: 離婚して出てきて7人順番に片付けて今は1人。年金は旦那が社会保険に入っていたから、離婚して私が国民保険に変えました。 障害も出てきて障害年金と合体して今、年金もらっている。

●地域の人にお友達は居ますか?

韓: 友達は5人います。近所は新しい家ばかりで、住んでいるのは日本人なので友達はいてないです。家をつぶして建て、若い人ばかりです。
全: たまに家の外で挨拶するくらいですか?
韓: 挨拶はするけど、めったに会わない。隣りの人は今年になって1回も見たことが無いくらい。私が家から出て行かないからだろうけど。
表: 老人会に入ってから仲良くしてもらっています。町内の老人会です。老人会の人たちで集まる時がある。たまにご飯を食べたりします。でも自分の都合があるからあまり行かないです。
康: 私は老人会に行くように勧められているけど、日本の人ばっかりだし行ってないです。私は、お茶のみ友達スーパー巡りの友達、韓国ドラマの友達とか分けて使っています。

●介護保険の制度はどんなのを利用されていますか?

全: ここのデイサービスもですが、他に何を利用されてますか?
韓: 手すりをつけてもらいました。
表: 介護保険から、トイレを洋式にしてもらいました。ヘルパーは10年以上利用しています。
康: お風呂のボードを買いました。お風呂の浴槽をまたぐ物です。まな板みたいになっていて、そこにお尻つけて入る。場所もとらないし、ヘルパーさんが来ても邪魔にならないから重宝しています。

●今の韓国がブームになっているのをハルモニ達はどう思われますか?

表:
表斗利さん
表斗利さん
良かったと思いますよ。一番変わったのは小学校の時「朝鮮の子、朝鮮の子」って苛められていて、その子と鶴橋で偶然会いました。その人の顔を忘れられないくらい苛められていました。向こうから声かけてきて、息子が九州かどこかにいて「キムチ買って来てって言われた」と鼻高々と言われた。持っているキムチを取ってぶつけたろうかと思いました。百貨店等でキムチを売る時代が来るとは夢にも思っていなかった。
全: 康さんはどう思いますか?
康: 私は良いと思います。サオ(娘婿)がDVDをつけてくれて、はじめは知らなかったけど見だしたら、はまってしまった。
全: それは吹き替えバージョンですか
康: 私は、ハングルで言っているのを見ています。分からなかったら、字幕を見ています。以前は『冬ソナ』とかを吹き替えで見ていたが、イ ビョンホンになってから、あの人の生声が好きで、それからハングルに、はまりました。片言でも分かるんです。昔、親が喋っていたから。「サランヘヨ」と言っていたら「愛しているって言うてるわー」と思います。良い玩具です。衣装とか、農家の家、屋敷の家が見られるのは、楽しいです。知らない場面ばっかりやから、オンドルとか物珍しいです。
韓: 私は昔の人やから、分からん。知らんものは知らん。

●韓国と日本は、ハルモニ達にとってどうゆう存在ですか?

表: 韓国は親が生まれた国。日本は、自分が生まれた国だから安心感はあります1世がおったから、自分は生きていると思います。
韓: 若い時に日本来て、63年になる。日本が故郷みたいになってる。
康: 日本は腰掛け。日本の教育受けたが風習も違い、今まで生活もしたが、よその国。お客さんみたいな感じです。韓国は、我が国。住みたい郷愁もあります。根は韓国にある。気は韓国に向いています。

●韓国に帰ることができ、生活が保障されるなら帰りますか?

韓: 帰らない。子どもが日本にいるから。
康: 私も帰らない。ここで生まれ育ったので生活基盤がここにある。韓国に行くと、自分の国に来たという何ともいえない感動があるが、いざ生活になると・・・。
表: 私も帰らない。親が日本で生活の基盤作ってくれた。日本で生まれたから、文化・風習も分からないし、夢のまた夢。空に絵を描くような話です。あんな激しい戦争あったから、目の前の事しか信用できません。
全: 在日コリアン高齢者が無年金であることに対する判決が出たのですが、この問題は解決すると思いますか?
康: 無理だと思います。
表: そうやね。1世は歳が行き過ぎている。
康: もう2世が動き出さないと。

●今、役所とか行政に望む事はありますか?

韓: 若い時は仕事して税金払ったのに今何も無いから年金欲しいです。今、大阪市から在日外国人給付金の1万円を貰っているけど、せめて3万円欲しいです。
表: 行政は、嘘ばっかり言うので信用してない。私達はもう時代過ぎたから良いけど孫達はここで生まれ育っているし、日本国民と同じ生活させたいです。
韓: 差別無しに。それだけです。会社入っても同じ扱いにして欲しい。
康: 参政権が欲しいです。同じ税金払っているのだから、永住権も取れているし、やっぱり選挙権欲しい。人並みにやりたいです。
全: オモニは参政権が無い事で、何かあったのですか?
康:
康承春さん
康承春さん
嫌だった。苦痛だった。自分が思っていた人が入ったら「良かったな」と思うけど、違う人やったら「私でも1票入れていたらあの人行けていたのじゃないか」ってモヤモヤがありました。私達の時代はもういい。これからの時代にちゃんとして欲しいと思います。

 

●多民族共生人権総合福祉センターぱだ責任者 金玉子(キム オクチャ)さんからのコメント

 利用者のハルモニ(おばあちゃん)たちは年金が無い事により、1日1食しか食べられない程追いつめられた生活をしている方もいらっしゃいます。ご自宅に様子を見にくと、自分が食べていた物を隠すように片づけられます。自分がみすぼらしい食事をしているのを見られたくないのだと思います。収入源のない利用者のオモニ達は、体が動かなくなるまで働き続けて、貯めてきたお金を切り崩しながら生活してらっしゃいます。
 私にも利用者のオモニ達と同じ時代を生き抜いてきた入院中のオモニがいます。1人の娘として、また、センターの責任者として、年金が無いことがどれだけ辛い事なのかを痛感しています。本当に後がありません。一刻も早く、少しでもハルモニ達が、楽に暮らせるようになって欲しいと切に願っています。

 

○編集後記○
 ハルモニ(おばあちゃん)達のお話をどう感じられたでしょうか。
 今回、ハルモニ(おばあちゃん)達へのインタビューを行い、苦しい生活の中で覚えた日本語を話すハルモニたちの姿を想像していただくため、そのままの口調で掲載しようと考えていました。しかし、文面にすると読み辛くなってしまい、残念ながらそのままの口調を残して掲載することは出来ませんでした。
 ハルモニ達のお話には、戦争を生き抜きひどい差別の中で子どもを育ててこなければならなかった、厳しい現実と熱い思いが詰まっていました。あるハルモニは「(仕事ができないため生活が)昔より今のほうがしんどい」とおっしゃっていました。高齢になった今現在も苦しい生活を強いられているというのがこの一言に集約されています。
 今、ニューカマーと呼ばれる方の生活状況を聞いてみると、ハルモニ達が経験してきた事と同様の辛い体験をされています。在日コリアンが経験してきた辛い思いを繰り返さないためには、皆さんのご理解とご協力が不可欠です。
 今後とも宜しくお願い申し上げます。

事務局 全(チョン)

 

 

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