|

内藤 正典 さん
|
プロフィール
1956年東京生まれ。現在、一橋大学大学院社会学研究科教授。イスラムと西洋の相関地域研究、多文化共生論を専攻。著書に「トルコのものさし日本のものさし」など。
|
(一橋大学大学院教授)
『イスラームとの共存のために
「味の素ハラール問題」の事例から学ぶ』
2001年5月10日
多民族共生人権セミナー
|
「イスラーム」という宗教を知る重要性
私の専門はヨーロッパを中心とした移民問題ですが、移民のなかに多くのイスラム教徒がいます。元々は外国人労働者として来た人たちですが、ヨーロッパ社会では、今や「外国人労働者問題」という枠を越えて、国籍・民族だけでなく宗教文明が異なる人と、どう共に生きていくのかが議論されています。今、世界の人口は59億人。そのうちイスラム教徒は12〜13億人。つまり世界の人口の5人に1人です。イスラム世界は少子化の傾向は現れていないので、このままいくと近い将来、「3人に1人がイスラム教徒」となるとも言われています。これだけの人たちが何を考え、何を大事にして生きているかを知らずに、世界のことがわかるでしょうか。
現代世界とイスラム
日本に住むイスラム教徒は、現在は多くはありません。しかし周りを見れば、東南アジアや中国の一部、中央アジアにも、多くのイスラム教徒が暮らしています。中東やアフリカ北部はもちろん、ヨーロッパの中にもイスラム教徒が多く住む地域があります。例えばオランダやフランスでは、イスラムは「第二の宗教」にまでなっています。むろんEU諸国のイスラム教徒は元々住んでいた人ではなく、1960年代から現在までの間に渡ってきた人たちです。典型的なのはドイツで、雇用協定を結んで、各国から移民を受け入れてきました。統一ドイツの全人口の9.5%が外国籍です。他の国々でも似た状況です。イギリスはかつての植民地から、イスラム教徒の労働者を受け入れています。ヨーロッパの大都市は、どこでもモスクがあります。「イスラム教徒と共に暮らす」のは、ヨーロッパ社会では全くの日常です。
巨大メディアの影響と、誤解される「イスラム」
我々が知るべきことは、欧米社会が持つメディアの力は巨大だということです。私たちはバーミアンの大仏が爆弾で吹き飛ばされるのを、パレスチナの人々が拳をふりかざしてイスラエルに対抗しているのを見ました。すると、イスラム教徒について我々が目にしている映像は、ほとんどが爆弾、テロ、紛争のイメージです。男たちはターバンを巻いて銃を担ぎ、女性は黒ずくめの服を着ている。でも実際に銃を持って闘っているイスラム教徒は、世界中でどんなに多く見積もっても1万人もいない。では、13億のイスラム教徒のうち他の12億9,999万人の人々がどうやって暮らしているのか私たちは知らないのです。このことが、どれだけイスラムとイスラム教徒との姿を歪めてしまっているでしょうか。
「味の素ハラール事件」を通して、見えてくるもの
インドネシアで「味の素」の事件が起こった時、大方の日本人の反応は、「そういえばイスラム教徒は豚を食べないんだな」「どうして豚が入ってたぐらいでそんなに怒るのか」というものだったのではないか。「実はあれは権力闘争だ」という「事情通」もいました。そうした側面も否定しません。しかしそれでは肝心なところを見落としてしまいます。大切なことは、彼らが何を大事にして生きているかを知って、受け入れることです。問題なのは、わかったふりをすること、そして断片的な情報からでたらめなイメージをつくってしまうことです。
イスラム教徒が大事にしているもの
イスラームとは「唯一絶対の神に対して絶対に服従すること」を意味します。イスラムというものを「拝む」のではありません。唯一絶対の神(アッラー)に服従する人のことをムスリム(イスラム教徒)といいます。神の教えが啓示のかたちで示されているのが「コーラン」です。コーランは、結婚、離婚、商売、契約といった、いわば日常生活のルールブックです。イスラムといえば、「戒律が厳しい」というイメージがあるが、必ずしもそうではありません。「断食(ラマダン)」とはほぼ1ヶ月間、日の出から日の入りまでの間、飲食や欲望を断つということですが、逆にいえば夜は構わない。それ一つとっても、コーランに示されている「人間は弱い存在だ」という前提が見えてきます。人間が欲望に弱いからこそ、個人にとって最低限のルールや、社会のルールを定めた。それがイスラームなのです。
イスラム教徒のホスピタリティ(もてなしの心)
イスラム世界を旅しているとすぐわかるのが、彼らのホスピタリティ、人をもてなす心の温かさです。砂漠の中、厳しい状況だからこそ、お互い助け合わなければ自分も死んでしまうかもしれない。出会った者を最大限にもてなすというのは、彼らの大事な道徳として、今日でも生きています。
イスラム教徒が戦う時=「社会の公正さ」が脅かされた時
「味の素」問題に戻ると、インドネシアの人々が怒った理由は、「ずっとインドネシアで商売をし、インドネシアの人の口に入るものを作っていて、そこに豚が入っていたのか。我々をだましていたんだな」と彼らが思ったからです。しかし公正なことのために努力をしている企業や個人であれば、日本人であろうがキリスト教徒であろうが、突然攻撃したりすることは絶対にありません。イスラムの教えでは、人種や民族の違いは無意味です。
イスラム教徒はなぜ誤解されてきたのか
なぜ、イスラム教徒は誤解されてきたのか。コーランではユダヤ教、キリスト教は「兄弟」です。しかしキリスト教徒の側はイスラム教徒を敵視してきました。
有名な「一夫多妻」の制度についてですが、コーランで言っているのは、「孤児を案じるなら、2人なり4人なり妻をめとるがよい」「ただし(妻たちを)公平に扱えないのなら、やめておけ」ということだけです。そこをわかって批判しているのでしょうか。異文化を批判するなら、都合のいいところだけつまみ食いしては不公正ではないでしょうか。日本や欧米の一夫一婦制が、果たして守られているのか、本当に人権にかなっているのかというと、そうといえない側面もあるはずです。
ムスリムと共存をはかるために〜必ずしもモデルではないEU諸国〜
外国人労働者とその家族が多く住むヨーロッパでは、異なる文化と共存を図るための様々な取り組みがあります。オランダの制度が最も「多文化共生」的ですが、それはカソリックとプロテスタントが対立してきた歴史があり、「相互不干渉」という合意から宗教の多文化主義があるためです。つまり、喧嘩に疲れ果て宗教別に棲み分けができている。カソリックとプロテスタントが独自の学校をもっているように、モロッコやトルコからの移民にも同じ権利を認めましょうということで、オランダには29もの「公立イスラム小学校」がある。ヒンドゥー小学校も二つあります。しかしこれはあくまでも宗教の多元性を認めているだけで、「トルコ人学校」といった民族学校は認められていない。一方ドイツは「外国人嫌い」が生きている国で、トルコ人への熾烈な差別があります。だからドイツは必ずしも見本ではありません。フランスもアメリカもそうです。現実に共生を図るには、外国のケースのつまみ食いでは駄目です、日本社会に必要なことを考えていくのがこれからの課題です。
|