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小林 洋一郎 さん
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プロフィール
1934年12月生まれ。1958年、新興産業株式会社入社。カナダ、ベトナムに駐在。1970年、東海染工株式会社に入社。アメリカ、香港に出向など、海外での企業活動経験が豊富。
1994年に退職され、現在、部落解放研究所の人権大学の助言者。
著書に『国際化時代の企業と人権』(解放出版社 人権ブックレット24)ほか。
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「教科書問題で考えたこと」
2001年7月26日
多民族共生人権セミナー・「企業・教育・歴史認識」
今回、こうした題でお話しますが、私は学校の教師でも歴史学の専門家でもなく、主に企業で一生懸命仕事をしてきた人間です。ただ、人間としてどう生きるか、共に生きるとはどういうことかを考えてきました。今日は人権・共生といった視点で、今問題になっている教科書を見て気になったことを報告させていただきます。
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(1)皇国史観と大国意識で塗りつぶされた「歴史教科書」
この歴史教科書を見る限り、軍国主義は亡霊どころか、実際に生きている存在であると感じます。この底辺にあるのは、皇国史観と大国意識ではないでしょうか。皇国史観とは、天皇を中心にする、国家主義的な歴史観です。皇国史観を日本の国内で考えると、天皇というものがきちっとおさまっている以上、国内では差別的な感覚が浸透しています。一方、海外に対しては非常に尊大な姿勢でのぞんでいるといえます。
《問題点の例》
・大国意識の一例。「仁徳天皇陵がピラミッドより底辺部が大きい」といった記述。
・皇国史観の一例。聖徳太子の十七条憲法、五箇条のご誓文、教育勅語等をとりあげる中で、必ず皇室とのつながりを確認させる。
・神話と歴史を混同している。
・「満州事変は日本の運命を変えた」とあるが、中国の運命を変えたんじゃないか。そういう視点がない。日本軍のとった行動を正当化しようとする記述が多い。
・「大東亜共栄圏」は、日本のひとりよがりの発想にすぎないなのに、あたかも大義があったかのような書き方。戦争賛美の文章も多い。
・真珠湾攻撃について、あたかも日本の国力が高まった結果のように書かれている。また「奇襲」ではなく「空襲」と書いている。(私は東南アジア各国でどんな教科書が使われているかを調べたが、真珠湾攻撃はどこの教科書でも「奇襲」となっている。)
・アジア各地で「現地の人の協力」があったと書かれているが、実際はそうでなく、強制的に資源や労働力を摘発していた。現地の人々への配慮はなかった。
・各国での粘り強い独立運動についての評価がない。韓国の三一独立運動についての記述もあまりにも表面的。南京事件についても、事実はわからないかのような書き方。
(2)言語明瞭、意味不明な「公民教科書」
公民の教科書は、書くべきなのに書かれていないことがあまりに多いと思います。戦前の古い道徳意識をもっともらしく今様に書き換えたような文章が目につきます。
《問題点の例》
・住民投票条例について、国民を、考える力のない「烏合の衆」と決めつけている。
・個人と集団を対置している。「公共的な精神」をうたいつつ、滅私奉公の道徳をすすめようとしている。
・家族の絆について、偏ったものさしを示している。まず家がしっかりしたら地域がしっかりし、地域がしっかりしたら国がしっかりするという、「家」中心の思想。
・自衛権について。本来、自衛のための手段、可能性はいろいろあるはず(例:平和外交の徹底、国際的なレスキュー部隊の創設。)だが、そのような視点がない。
たとえば、国歌・国旗に対する意識と態度について書かれているところでは、外国にボランティアに行って「国旗を敬う」ことを知らずに失敗した青年の体験談と、ラモス(サッカー選手)の「日の丸」への礼賛という極端な例を出して、国歌・国旗は大切という主張をもっともらしく仕立てています。けれど、私が東南アジア各国に行って、いろんな国のいろんな方と話をさせてもらって、そのなかで「日の丸の旗が見えてから、自分の身内は離散した、自分の家は貧しくなっていった」、「日の丸の旗が見えてから、お父さんもお兄さんもいなくなった」という話を聞いてきました。そんな辛い思いを持っておられる方が、アジアの各地にまだおられます。そういう人たちの文章をここに持ってきたらどうなるでしょうか。
(3)国際的に孤立する人材をどれだけ大量生産するのか?
こんな例がありました。フィリピンのゴルフ場で日本人がプレイをしようとしたら、キャディさんがその場におらず、しばらくしてから戻りました。すると日本人(教員)はクラブでキャディさんのコツンと頭を叩いて、「どこ行ってたんや」と言ったのです。それが問題になりまして、この先生は強制退去になりました。それはなぜかというと、その先生の平生からのフィリピン人に対する姿勢が非常に差別的であり、フィリピンの人を見下げた行動をとってきた。その人がゴルフ場でコツンとやったことじたいは、たいしたことではない。けれど平生からの態度があったから、それが大きく取り上げられました。
それから、タイのある工場で、従業員が遅く出勤してきて、工場長(日本企業の社長)が「もっと早く来ないといけないじゃないか」といって従業員の肩を押すと、従業員はよろけた。これは、組合を通して問題になった。その工場長は平生から、タイ人を見る眼が非常に差別的で、それが何年も続いてきた。何年にもわたって、現地の人を差別していたことが、そのことで表面化したわけです。平生から、いかに自分の態度を常に反省していかないといけないでしょう。えてして日本の社会は、アジアの人たちは自分たちよりも劣っているというふうに見がちなんですね。そういう姿勢で相手と接触していたって、本当の「共生」なんてできっこありませんし、相手の人権を守ることもできないと思うんですね。
この教科書にはどこを見ても、「アジアの人と共に生きる」という観点が全然ない。そのような観点がなかったことがあたりまえのようにして書いています。この教科書を読んだ子ども達は、アジアの人たちを無視したり、「ああ、アジアの人たちは能力のない人たちなんだ」という感覚をもって接しても、全然おかしくはないと思います。えてして日本の社会は、アジアの人たちは自分たちよりも劣っているというふうに見がちなんですね。そういう姿勢で相手と接触したって、本当の「共生」なんてできっこありませんし、相手の人権を守ることもできないと思うんですね。
子どもには歴史をきっちり語り継いでいかないといけないと思います。子どもは学校で近現代の歴史をほとんど学んでいませんが、現代のほうから学んでおくような学習のしかたがないものかと思います。これから国際社会にどんどん出ていってもらわないといけないのが、私たちの子どもの世代です。その娘たちや孫たちがこのような偏った教科書でもし学んだとしたら、大変なことになります。孤立化することがは、はっきりしています。
私が駐在したのは香港とベトナムですが、出張も含めて、東南アジアのどこへいっても、日本人ということで特別の目でみられます。日本人というのは、何を考えているかわからないという視線を強く感じる。それは、日本は自らのやってきたことに対し、総括していないからです。謝るとか謝らないとかいう問題ではありません。やはり、日本の国がやってきたこと、たどってきた道をきちっと総括しないといけない。そうしたことをわかった上で、目の前にいる相手と話すと、それは非常に力になります。
今、ユニクロさんの商品が非常に多く出回っています。それは海外の工場で生産されますが、それだけそこの社員さんがむこうに行っているということです。行っておられる方が、靖国神社や教科書の問題で、「何がどうなっているかわからないけど、もめてるなあ」では、すまされません。へたすると、孤立化ではすまされない問題が出てこないとは限りません。先ほども言いましたように、「日の丸が来てから自分の家族はこうなった」という思いを持っている人、あるいは、あの時に受けた傷が今も自分の体に残っているという人がいますから。外向的に政治的に問題が起こったときに、外国に駐在している者として、心が痛まない人がいたとしたら、それはほんとの国際人ではないと思います。外国の人たちは、言いっぱなしでなく、行動する人を認めます。教科書の問題についても、意見を言うだけではなしに、「少なくとも自分は一生懸命に総理大臣に手紙を書いている。教科書会社にファックスしている」と伝えたとしたら、逆に、どれだけ信頼を受けることか。
国際的な場面で本当に仕事をしようと思ったら、今問題になっていることをしっかりと、自分なりに整理しておく必要があります。この教科書では戦前の軍国主義国家をめざして、国のために命を投げ出すような人間を育てようとしているのが明白です。このような教科書を私たちは許してはならない。いま各地で、なかにはこの教科書を賞賛する人や学校もあります。そういう人たちに対して、何が自分はできるか、あるいは、自分の組織は何ができるかを考えていくことが、これからの我々の教科書問題への、目の前につきつけられた者としてのできることではないでしょうか。日本の国の歴史の良識というものが非常に危ないところに来ているということを、もう一度再確認しながら、この教科書問題をもっと大きな問題として考えていきたいと思います。
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