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田村 太郎 さん
プロフィール
兵庫県生まれ。高校卒業後、ヨーロッパ、アフリカ、南米などを旅する。在日フィリピン人向けのレンタルビデオ店勤務を経て、1995年1月阪神大震災発生直後、「外国人地震情報センター」を設立。同年10月、名称を「多文化共生センター」に変更。現在、同センター代表。 |
(多文化共生センター代表)
「多民族共生社会と企業の役割」
2002年5月21日
多民族共生人権教育センター「企業学習会」
第2回総会記念講演
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多民族・多文化共生社会の到来
「経済活動のグローバル化」に伴い、人がどんどん動くメカニズムについて少しお話したいと思います。もうすぐワールドカップですが、日本で今サッカーボールを買うと、1個いくらだと思います? 私が先日買ったのは2,900円です。ベトナムで作られたものでした。配付資料の中に、パキスタンでは子どもが働いてサッカーボールを作っている、という新聞記事があります。そうやって安い賃金で働く人がいることと、私たちが安い品物を買えることとは無関係ではないんです。この10年間にグローバル化が進行して、乱暴な言い方をしますと、「より安く、よりたくさん、タイムリーに」生産する、という流れが世界中に広まりました。企業としてはコストを落として生産すれば利益があがるため、例えば中国沿海部の上海などには、日本や台湾からの工場の進出が増えています。そのため中国国内では、農村から都市への人口集中が起こっています。都市が膨脹する一方で、働き手を失った農村は崩壊します。一方、都市にも無尽蔵に仕事があるわけではありません。いまは情報化社会でもありますから、「日本に行ったらもっと仕事があるそうだ」という情報も簡単に入ってくる。日本で働いた方が稼げるなら、行って働きたいと思うのは、あたりまえかもしれません。
先週、大学の授業で、1960年代に日本政府がつくった「ブラジルに行きませんか」という映画のビデオを観ました。農村はこんなに貧しい、イヤだ、と思っていたAさんがブラジル移民の話を聞いて農協で手続きして、ブラジルに渡り、「ほらこんなに良い生活をしています」という、そういう宣伝映画でした。昔、日本政府は、あちこちの農村でこうした宣伝映画の上映会をして移民のあっせんをしていたんですね。日本もかつて、移民の送り出し国だったのです。
今、世界人口の40人に一人が、自分の国籍とは違うところに住んでいると言われています。ちょっとした規模の街であれば、言葉や習慣の違う人が暮らしているのが当たり前になりました。経済のグローバル化の善し悪しは今日は問いません。私も、ものを安く買えるのは嬉しい。企業のみなさんは安く商品を流通させたい。でも私たちが安いネギを1本、安い靴下を1足買うということで、1人の人間が日本にやってくることを後押ししていると考えてもいいと思います。私たちの日常生活と人の移動は、密接につながっているんです。そういう世界に今、私たちは立っているんだということは、認識として持ちたい。そこを抜きにして、「勝手に日本に稼ぎに来ている人は、苦労したらいい」とは言えないと思うんです。
多様化・定住化する在日外国人
韓国・朝鮮籍以外の外国人が1990年代の10年間で2倍に増えました。毎年5%程度の増加が続いていましたが、1999年から2000年では、前年比8.4%も増えました。よく、「景気が悪くなると真っ先にクビになるのは外国人だ」と言われます。それはそのとおりですが、不況時に雇われるのも、より安い賃金で働く外国人です。最近は「研修生」も多いですね。でも、これを今日聞いて、「安く雇えるなら、研修生を雇おう」とは思わないで下さい。研修生とは、もともとは日本の技術を学んでもらって、帰国後、生かしてもらうためにできた制度でしたが、中小企業の安い労働力として使われているのが現状です。研修生の場合、就労目的ではないので、やはり給料が安いんです。「1ヶ月まるまる働いて、残業して、手取り15,000円」というケースもありました。今の日本での話ですよ。
日本で暮らす外国籍の人の国籍は多様化しています。韓国・朝鮮籍以外で一番多いのは中国です。次がブラジル、フィリピン、ペルー、アメリカと続きます。言語で言うと、中国にも上海語、北京語、広東語等があるし、ブラジル人はポルトガル語を話します。フィリピンはタガログ語、セブアノ語等いろいろだし、ペルーの公用語はスペイン語です。しかし、日本ではどうも「外国人=英語」というイメージが強くて、国際理解だといっては英語ができる人を一生懸命育てています。でも地域では中国語やポルトガル語や、フィリピンのいろいろな言語を話せる人が欲しいのに、まだまだ少ない。例えばポルトガル語の勉強ができる大学は関西にいくつありますか。
日本は土地も物流コストも高いので、企業は海外の工場にシフトしつつあります。10年前に労働者として来日した人が定住してきていますが、日本で仕事が減っている。こうなると、「日本人の失業も大問題なんだから、もう帰っていただいたら」という議論が出てくるんです。でもすでに暮らしていて、子どもが生まれたり、学校に通ったりしている。「世界同時不況」ですから、帰国しても不況です。日本で暮らし続けたいと思う人もいるのは当然です。
他国ではどうだったのでしょうか。「多文化共生、多文化主義」が出てきたのは1970年代前半、オイルショックのころです。カナダ、オーストラリア、ドイツは、それまでは景気が良く、外国人労働者を受け入れていた。それがオイルショックで続けられなくなる。だけど既に外国人とその家族は暮らしている。どうしたらいいのか。そこから「多文化主義」が定着しはじめました。いま日本が直面している状況は、この70年代前半の出来事と重なるんじゃないか。これらの国がその時代にとった政策がこれからの日本に参考になると思います。
「帰れ」という議論はしないでほしいし、同じ地域で暮らすことになった人たちとして、向き合っていってほしい。今、残念ながら、外国人といえば「犯罪が増える」という報道がなされたりします。どうすればこういう状態を「過渡期」の出来事として終わらせることができるのか、考えてみる必要があると思っています。
多文化共生社会の展望
展望として、3つの方向性があります。一つは、「あってはいけないちがい」をどうなくしていくか。同じ地域社会に住んでいて、ある人は権利があり、別の人にはないという状態はなくさないといけない。「基本的人権」ですね。二つ目は、「なくてはならないちがい」を守っていくこと。外国人の数が増えたといっても、日本社会では少数です。少数でいるということは、力がいるんです。外国人の子どもが学校に通い出すと、自分の文化的背景を隠すんです。それはやはり、「あってはいけないこと」だと思います。例えば外国人の子どもたちが増えた保育所で、多言語のツールをつくろうという話になりました。保育所側から出てくる要望は、保育所の説明をしっかりやりたい、「私たちの園はこういう方針です」「プール前検診をします」といったことばをあらかじめ翻訳しておきたいと。全部、自分のことを説明する訳語なんですね。相手のことを聞くためのことばが出てこない。「すてきね、かっこいいね」とか「お母さん・お父さん」とか、そういう言葉をまず知っておきたい。在日コリアンも同じと思うんですけど、自分の文化を大事にしながら暮らし、学校に通い続けるには、自分が認められることがだいじなんですが、それが難しい。そこで「なくてはならないちがい」を守っていくための「力づけ」が必要なんです。三つ目が、「地域社会の変化」です。いくら基本的な権利が守られて、あるいは外国の人が自分の文化背景をもって生きていても、日本の文化背景を持つ人が、「外国の人、いてはるかもしれんけど、わしゃ知らん」ということでは、多文化共生社会にならないんです。地域社会全体が異文化への理解を深め、敏感になっていかないと。外国人だけが住みやすい社会なんてありえない。あらゆる少数者が住みやすい社会になってはじめて、外国人も暮らしやすい社会になるんだと思います。
阪神大震災の時、私は被災地で暮らしていました。地震があって、「こりゃ、情報が届かない人がたくさんいるだろうなあ」と思って、「外国人地震情報センター」を仲間とたちあげたんです。そこで見えてきたのは、「少数者が後回しにされる社会」の現状でした。避難所でも、仮設住宅でも、少数者は後回し。とにかく「多数の人に同じサービスをどんどん供給する」方式で復興のメニューは築かれていくんです。私は兵庫県の被災者復興支援会議の委員を2年ほどさせていただいたんですけど、そこで語られていた復興施策の問題点は、ほとんどが少数者への配慮のなさだったんです。例えば仮設住宅の地面にはぬかるまないように砂利を敷きました。でも砂利だと車椅子は入れませんよね。避難所の弁当は一律同じです。アレルギーのある人は食べられない。「緊急事態だから、そんなこと言ってられない」と言えばそれまでなんですけど、緊急事態だからこそ大事にされたい部分があるはずです。
こんな現場を見てきて、私たちは団体の名前を「外国人支援センター」じゃなくて、「多文化共生センター」にしたんです。これは日本の地域社会の問題だ。外国人を支援してそれですべてが終わることじゃないということです。目標とすべきは、地域社会が多文化共生社会に変わっていくこと。阪神大震災では外国人だけで200人亡くなっています。そこから私たちは教訓を得て、新しい社会をつくっていかなければいけない、と思ったんです。
求められる企業の役割
この三つの方向性を参考に、企業の方々も各々の役割を発揮していただけたらと思います。一つ目は、企業の中での不公平の是正です。一度検証して下さい。社員の中に外国籍の方がどれぐらいおられるのか。採用や昇進で不利な条件を設けていないか。私たちもこんな相談を受けたことがあります。採用はされたが、いつまでも昇給・昇格がない。工場で働いていて、フォークリフトの資格をとれば給料があがり、主任になれるんですけど、その試験が日本語なんです。別に語学のテストじゃなし、日本語能力は大きな要素ではないんですから、試験でもなんらかの配慮はあっていいはずです。今後は何人雇っていますよ、ということだけでなく、多様な文化背景をもつ社員へどんな配慮がされているのかますます問われてくると思います。
二つ目に、企業が提供する商品やサービスを点検してほしい。日本語や日本の文化がわかる人だけを前提に製品が製造されていないでしょうか。日本語がわからない人が、みなさんのお客さんにいますし、増えています。例えばビデオカメラを購入したけど、ファインダーに出てくる「再生」「録画」という、あの漢字が読めないという話をよく聞きます。今までは日本国内では、日本語がわかる消費者向けに商品を提供してきて、それでよかったかもしれません。しかし、既にみなさんの顧客の中には、日本以外の文化背景を持つ人がいます。多言語、あるいは多文化での取扱説明書を考えてもらわなくてはならないかもしれません。「文化」ということでは、自治体の「ゴミの出し方」の翻訳を依頼されることがありましたが、こうしたお知らせのチラシは日本ではよくマンガを使ったり、犬のキャラクターに吹き出しをつけて説明させたりしていますよね。日本以外の国では、マンガが幼稚だと思う人や、犬の絵を嫌う文化の人もいるわけです。それがすぐに差別になるとか、事故につながるわけではないけれど、イメージは落ちます。いろんな文化背景に配慮した開発、サービスの提供がこれから必要になるでしょう。
三つ目は、「企業市民としての社会参加、変革」です。企業が市民としてどう社会にインパクトを与えていくのかということです。企業が変われば社員が変わる。社員が変わると、地域が変わるんです。会社勤めの人は多くの時間を会社で過ごしますから。企業の中に普通に外国人がいるようになれば、家庭での会話が変わってきます。家庭での会話も変われば、地域での会話も変わってくるのです。学校は既に変わってきていて、今、大阪府内だけでも1,200人ほど、日本語指導の必要な子どもたちが府内の学校へ通っています。子どもの世界は変化しています。大阪市内でも最近、イラン人のPTA会長さんが誕生しました。PTAの世界も多民族・多文化になってきているんです。このままいくと朝から晩まで会社にいる男たちだけが取り残されますよ。
企業の果たす役割は大きいです。企業の中で学習会を企画することもできるし、サービスや商品の開発を「いろんな人がいる」という前提でやるチームがすれば発想が変わっていくと思います。何もボランティア団体に寄付したり、社員をボランティアに紹介したりするだけではなくて、企業自身のあり方、社員の働き方、開発のコンセプト、こういうものが社会を変えていくでしょう。
外国人や多様な文化背景を持つ人の存在は、以前なら「コスト」や「時間」がかかるマイナスの要因と見られてきました。これからは多様な社員で構成されている会社ほど、活力に満ちて、いい商品も開発でき、評価されていくと思います。多様性を活力にした時にはじめて、企業も地域も元気になっていくんじゃないかと思っています。
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