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ペェ 重度さん
| プロフィール
1944年生まれ。大学中退後、在日韓国人問題研究所に勤務。在日の市民運動に長く関わる中で、川崎市ふれあい館設立に向けて奔走。現在、川崎市ふれあい館館長。 |
(川崎市ふれあい館 館長) 「多民族共生をめざして 〜川崎市ふれあい館のとりくみ〜」2003年3月28日
2002年度第3回
多民族共生人権教育センター 「企業学習会」
講演会 |
今日は、「多民族共生を目指して」ということで、私どもの「川崎市ふれあい館」のとりくみについてお話させて頂きます。 アリラン祭と子どもたち 私たちは、毎年3月に、「地域と学校を結ぶ文化祭」という趣旨で「アリラン祭」をおこなっています。アリラン祭は、当初、在日の韓国・朝鮮人の子どもたちが中心となって踊りをしたり、農楽をしたり、テコンドーをしていましたが、今年は在日韓国・朝鮮人の子どもたちは数えるほどしかいなくて、ほとんどが日本人の子どもたちでした。私は今までに10回参加してきて、初めてある種の感動にうたれて、涙しました。アリラン祭のフィナーレは「農楽」という韓国の伝統民族文化であり、それを通して、子どもたちの中に一体感が生まれていたからです。その一体感というのはその場で急に出てきたものではなくて、準備の中で醸成されてきたものでした。この「アリラン祭」には、在日韓国・朝鮮人の子どもたちを中心として、かれらの生き方を見る中で日本人の子どもたちがどのように勇気づけられていくのか、何を考えればいいのか、ということから、連帯感や協働して働くという雰囲気が作られていくことにすばらしさがあると思います。在日韓国・朝鮮人の子どもが少なくなってきましたが、私たちが求めてきたものは確実にイベントの中で受け継がれていると思いました。同時に、在日の子どもであっても日本人の子どもでも、ニューカマーズの子どもたちであっても、それぞれが一体となっている姿を見るということに感動したのです。本来は、そのような姿を見て感動するということ自体がおかしいのですが、そういう姿に感動せざるをえないという日本社会の現実があるということだと思います。
11回目の祭りでは、在日韓国・朝鮮人の子どもが減っていることから、形態を変えざるをえないという状況もありますが、在日韓国・朝鮮人の子どもたちがどのように目覚めてきたのか、その姿を他の民族の子どもたちに見せることによってこそ、大きな共感があるのです。ただ単に並列をしたのでは、「多民族」という形には見えても「多民族共生」という形にはならないと思います。
「ふれあい館」で見えてきたこと 在日の子どもたちの、この日本社会の中で人間らしく生きていきたい、という思いから「ふれあい館」の地域での実践がはじまりました。しかし、実態は在日の子どもたちだけでは成り立たない、地域社会のニーズに合わない、という問題に直面しているのです。そこをどのように突破していくのか、作り直していくのかというのが今の大きな課題です。
「ふれあい館」は1988年にオープンして、15年がたちます。設置の目的は2つあります。1つは、日本人と外国人、主として韓国・朝鮮人がふれあうこと、もう1つは、子どもからお年寄りまでがふれあうということです。大都市の公的施設は「住み分け」論になっていますが、地域社会には住み分けが成立しているわけではありません。地域に住んでいる誰もが使える施設、そのようなニーズにあった公的な施設をつくるということから、今のふれあい館があります。地域のニーズというのはいろいろに変化し、そのニーズをいかにつかむか、ニーズにつき動かされてそれに対応できる体制をどのようにつくるのか、ということが大事なのです。
私たちは「ふれあい館」の中で識字学校をしてきました。(在日韓国・朝鮮人)1世の高齢者との関わりの中で気づかされたことは、「文明が発達してくると人に優しくなるとは、必ずしも限らない」ということです。今はなんでも便利になっていますが、「便利」ということが弱者にとってやさしく機能しているのかというと、意外とそうはなっていません。切符の精算、自動販売機、料金所など、これらは字の読めない人、分からない人にはとても不便です。これは、「弱者に合った視点がない」と同時に「ニーズを掌握していない」ということです。ニーズが掌握されていないという点で、ニューカマーズの人達は苦労していると思います。
学校と連携する 最近様相がかわってきているのは、国際結婚が増えてきている、ということです。国際結婚で生まれてきた子どもたちは、父母両系主義で、権利として日本国籍をとれることになっています。ところが、外見はみるからに日本人とはちがう、という体裁になります。そうすると、周りの日本人の子どもたちは日本人という捉え方をしないのです。そこでからかいがはじまったり、いじめがはじまったりします。しかし、かれらは生まれ落ちたときから日本国籍を持っています。そういう意味では日本人なのです。しかし、それを受け止めない地域の実態があるのです。それをどういうふうに変えていけばいいのか、ということに関して、「ふれあい館」では、子どもを真ん中において、学校が持っている情報とわれわれ地域が持っている情報を交換します。近隣の学校と連携する関係が築かれるまでは日数がかかりましたが、子どもを見守っていく上ではとても大事なことだと思います。
川崎市では、「子どもの権利条約」の発効以降、この条約を条例化しました。子どもの意見・主張を認めよう、ということが学校現場にも下ろされました。しかし、子どもの意識は親の意識が伝わる中でつくられてきますから、実態的に、日本が国際化しているという感性が作られているとは限らないのです。親の意識がしらずしらずのうちに子どもに伝わって子どもが反応する、ということがあり、保育園で3歳くらいの子どもが朝鮮人を差別したりすることがあります。日本は国際化しなければならないといいながら、親の意識はあまり変わっていないというのが現状です。この状況を変えていく一つの手法として、学校との取り組みがあります。学校が変わると地域社会が変わるのです。このダイナミクスは大きいものです。私たちは、「ふれあい館」を運営する経験の中で、学校が地域社会に及ぼす影響を実感してきました。学校が変わると、最初は親の抵抗がありますが、子どもを介して親の意識が少しずつ変わっていくのです。そういう意味でも、学校と連携するというのは大事だと思います。 権利を保障してこそ「共生」 日本には、外国人労働力を必要とする背景があります。その中で日本政府が打ち出した政策は、「日系の外国人をいれましょう」ということです。自分が日系であるということの証明書が売り買いされている、という話も聞きます。「日系である」ということで、非常に安定したビザが与えられるからです。外国人が最初単身で赴任をしてきて、後に家族と同居しようと思ったら手続きが大変なのです。ところが、定住ビザがあると家族の同居も簡単です。オーバーステイは制度が生み出した差別ともいえます。
ものごとが生み出されてくるのには、必ず背景・構造があります。そのことを知らないと、恩恵論、迷惑論になります。「なぜ外国人に生活保護をしてやらなければならないのか」、「なぜ外国人高齢者の面倒をみなければならないのか」という思いでは、「権利として人が自立して」という視点がなかなか出てこないのです。「多民族共生」というのであれば、人が権利を保障されるという実態になってこそ、「共生」ということが言えると思います。国籍の面でいうと、私のように日本で生まれて育った韓国人同士が日本で結婚し、日本で子どもを生んでも、日本国籍はとれません。父母両系主義の血統主義なのです。だから、私の子どもは日本国籍がありません。私にももちろんありません。私は、これを生地主義にすれば、かなりの問題が解決していくと思います。国籍条項などは「当然の法理である」とされています。つまり、法的根拠を持たない、法制局の単なる見解です。外国人と日本人は別だという二分法の中で生まれた古い考えなのです。その考え方が21世紀の今日に至ってもまだ残されて、通用しているのです。このような制度を残したままに、「国際化しましょう」というスローガンを掲げてきたのです。
子どもたちの「場」の大切さ 私たちの地域の中で、なぜこの子はここまで荒れるのか、ということを考えたときに、「どこにも場がない」ということが見えてきました。学校にも場がなく、家に帰っても両親がけんかばかりしていて、場がないのです。禁止だけされていると、子どものストレスはどこにも発散されないのです。そうすると、子どもたちのための場も必要になってきます。今、多民族共生がスローガン化されている中、そのような場の存在は皆無です。このような状況の中で生まれてきたのが「ふれあい館」です。「ふれあい館」では最初から「多民族共生」を目指してきたわけではありません。「在日韓国・朝鮮人が地域社会の中で人間らしく生きていけるように」という思いの中で作ってきたのです。そのようなプロセスの中で見てきた痛みがわかるだけに、ニューカマーズの子が来た時に、「この子も俺たちが味わってきた経験をするのだな、それをなんとかしなければならない」という思いがあったのです。そして、「自分たちが在日韓国・朝鮮人の実践をどういうふうにするのか、自分たちの場をどのように作っていくのか」ということの中から見えてくる視点があるのです。最初から在日韓国・朝鮮人とニューカマーズが並列化しているわけではありません。
そこで、「あるがままを受け止めよう、そこから何ができるか考えよう」ということが1つの作法となりました。「ふれあい館」には、子どもたちのクラブがあります。1つは、「ケナリクラブ」です。まだまだ、在日の子どもたちはいじめを受けています。そのような子どもがどこかで元気をもらう場を作らなければならないのです。しかしそこに日本人の子が入っていると、その子は口を閉ざしてしまいます。だから、日本人の子は入れてはいけないのです。1週間に1回、土曜日の2時間です。後は、日本人の子も他の民族の子も一緒に遊びます。そういう場がないと、在日の子ががんばりきれないのです。同時に、「ダガットクラブ」ができました。これはフィリピン系の子どもたちを対象にしています。これは、われわれが「ケナリクラブ」をつくってきたのと同じ発想です。 共生とは、高めあう関係 最近は「多民族共生」、「多文化共生」、という言葉がたくさん出てきています。「共生」とは新しい言葉、新しい概念です。立命館のある先生は、「共生」を概念規定しはじめる中で、「共生とはお互いを高めあう関係」とされていました。それに私は共感しました。言葉としては多様化されていますが、その中身はまさにこれから作っていく、という時代に直面しているのです。共生をする、ということを考えた時に、共生が共生たらんとする構造になりえているのか、そのことを考える背景がどうなっているのか、それを見極めていくことがとても大事なことだと思います。
「一緒になることが共生である」、そのようなことを考えている時に、私どもの館の「ふれあい」という言葉は「共生」を具体化していると思います。「ふれあい」というのは日本独特の言葉です。「ふれあい」という優しい響きの言葉ではあるのですが、そこに色々な「ふれあい」の形が見えるのです。そういうことを考えている時に出会った言葉が、フランス語の「トレランス」です。直訳すると「寛容」ですが、これを「尊重しなさい、そして、尊重させなさい」と意訳した人がいました。相手を尊重することによって、自分が尊重されるのです。多民族共生を目指していく時には、そういう感性、そういう発想がとても大事なのだと思います。
今の人権状況は個別化しています。男女の問題、子どもの問題、セクシュアルハラスメント、ドメスティックバイオレンス、同和の問題、全てを含めて人権なのです。みなさんには、トレランスを発揮したふれあいの企業活動を進めていって頂きたいと思います。ありがとうございました。
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