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飛田 雄一 さん
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プロフィール
1950年神戸市に生まれ、以後、市内を7回引っ越す。1978年3月 神戸大学農学部大学院修士課程終了
後、財団法人神戸学生青年センターに主事として就職し、1991年4月同センター館長に就任。
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(財団法人神戸学生青年センター館長)
「多文化共生社会への道のり」
2003年5月12日
多民族共生人権教育センター
第4回総会記念講演
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ご紹介頂きました飛田と申します。今日は、自分自身が関わったいくつかの課題を通して「多文化共生社会への道のり」を考えてみたいと思います。
重い刑を受けたS青年
資料の1番目に、「在日韓国人S青年の『強制送還』事件―1973年」とあります。これは、「日本で生まれ育った韓国人のS青年が、ある事件を起こして、懲役で少年刑務所に入り、出てきたらその場で大村収容所に連れて行かれて一度も行ったことのない韓国に強制送還されそうになる」という事件です。今では、こういうケースで強制送還されることはありませんが、30年前はそういう時代でした。S青年が、大村収容所に入った段階で裁判が始まりました。結局、裁判で勝訴はしないものの、S青年には最終的に法務大臣の許可が出て、今は日本で働いています。この事件のもう一つの視点は、彼が懲役8年の判決を受けているということです。それは1967年のことです。S氏が高校を卒業した当時は、クラスの中で韓国人である彼だけに就職がなかったそうです。今も就職差別がないとはいえないのですが、1960年代は就職差別がひどい時代でした。そして、いわゆる不良仲間と何ヶ所かで強盗を働いたのです。私たちは裁判の記録をみて、(強盗を働いた)15人のうちの日本人と朝鮮人との刑罰の重さ軽さの差を考えずにはいられませんでした。今なら差別的な判決ではないかと問題になるのではないかと思います。
黒船−門戸を閉ざしていた日本
2番目に「国民年金法改正(1982年)と在日朝鮮人障害者の年金問題」とあります。1982年の1月1日は歴史的な日であり、元旦の新聞に大きく「これで外国人に対する差別はなくなった」と出ました。これは、ベトナム人など、インドシナ半島からの難民を、日本も受け入れることになった、つまり日本政府が難民条約を1981年に正式に批准し、翌年難民条約が日本国内で発効したというものです。難民を受け入れた国は、自分の国の人と難民に同じ扱いをすることが義務づけられています。外国からきた人間を社会福祉的な法律から排除しないようにつくりかえなければならないのです。それで、日本国内の法律がいくつか変わり、日本国内にある外国人への差別がなくなったということなのです。この日から、ようやく在日韓国・朝鮮人も国民年金に入れるようになりました。戦後、在日韓国・朝鮮人の1世の方々で「年金がほしい」という人々がいたのですが、それまでは加入もできなかったということです。また、本人が韓国人だといっているにもかかわらず年金に勧誘され、国民年金を払い続けたのに支給されなかったという人がいました。厚生省の言い分は、「誤適用であり国民年金は支給できない」ということでしたが、我々は、「誤適用ではなく、そもそも排除することが問題である」として裁判をしました。最終的に厚生省の壁は破れず、我々は自嘲的に「日本政府には黒船が来ないとダメである」と揶揄したものです。つまり、厚生省の自助努力でもって外国人に門戸を開いたというのではなく、アメリカやカナダから「難民を受け入れるように」と強要されて開いたにすぎなかったからです。
無年金問題−とられなかった経過措置
国民年金の定義でいくと、20歳の誕生日に障害者として認定されると20歳以降に障害年金がでます。ここでどのようなひどい問題が生じたかというと、1982年1月1日の時点で20歳を過ぎていた在日韓国・朝鮮人は、「20歳の誕生日に障害者として認定されていないので障害年金は支給されない」となったことです。現在、京都で主に聴覚障害者の人を中心に裁判が行われています。1982年1月1日に20歳を超えていた在日の障害者は未だに年金制度から排除されている、ということです。1982年1月1日に法的な差別はなくなりましたが、遡って救うという措置をしなかったので、未だに問題を残しているのです。
老齢年金についてですが、老齢年金は、20歳を超えた人が25年以上お金を支払って、その人が65歳になるともらえます。計算しますと、35歳以上の人が年金を払い続けても期間が足りないので、60歳になっても年金がもらえないということがありました。外国人について法改正時には経過措置をとらなかったので、20歳を超えた障害者や、苦労してきた在日1世の方々で年金をもらって当然であるにもかかわらず受給できない在日韓国・朝鮮人がいるのです。障害年金、あるいは、老齢年金からの排除が、現実問題として残っているのです。
指紋押捺の廃止
資料の3番目として「『指紋押捺』制度のなし崩し的消滅−1980年代」とあります。在日韓国・朝鮮人に対する制度として普遍的にテーマになったのは、この80年代の指紋押捺だと思います。当時、外国人施策の中で、指紋押捺と外国人登録証の常時携帯は「二大悪」だといわれていました。朝鮮人が車を運転していて、検問に遭うと免許証の次に外国人登録証の提示が求められます。外国人登録証を持っていないと、免許証不携帯は放免し、「外国人登録証不携帯」で警察に連れていかれて罰金が課されることもありました。
指紋押捺制度については、法務省に一応の理論はあるのです。5年前の指紋と5年後の指紋があると、外国人の同一人性を確認できるというものです。指紋押捺には、多くの人が拒否をしました。指紋押捺制度は、最初は永住している外国人からなくし、最終的には全ての外国人からなくしました。これは、少しは多文化共生に近づいた出来事であったと思います。
ゴドウィン裁判が問いかけたもの
4番目に、「スリランカ人留学生・ゴドウィンさんの治療費問題−1990年〜1995年」とあります。私はこの裁判に関わり、初めて原告団長をしました。これは、外国人労働者が増えてきたことに関する象徴的な事件です。なぜ原告団長になったかといいますと、市民がものを申すことができる住民訴訟をしたからです。ゴドウィンさんは神戸YWCAの日本語学校で勉強していた留学生ですが、くも膜下出血で倒れました。下宿で倒れたゴドウィンさんは、神戸大学の付属病院に運ばれ、手術をして成功しました。しかし、保険に入っていなかったので160万円のお金を治療費として払わなければならなかったのです。ゴドウィンさんはお金がなく、身元保証人にもお金がありませんでした。行きついたところが神戸・灘区の福祉事務所で生活保護を適用するということでした。生活保護が適用されると医療費はそれで払うことができるのです。そうすると厚生省が、神戸市にプレッシャーをかけました。「生活保護というのは、永住や定住をしている人には馴染むものであるが、留学生には馴染まない」というのです。生活保護の費用は、75%は国が出して、25%は地方自治体が出すので、とりあえず神戸市が立替払いした医療費160万円のうちの120万円が国から下りてこないことになったのです。実際、外国人労働者を生活保護で救う事例はいくつもありました。最後の砦として生活保護で救っていたのですが、外国人が増えだした時に時代に逆行して厚生省が生活保護の範囲を狭めようとしたというのが、ゴドウィン事件の象徴的なことだと思います。結局、最高裁までいきましたが負けてしまいました。一審の神戸地裁の判決では、「原告の敗訴であるけれども、これはゆゆしき事態であり、留学生に高額の治療費がかかる緊急医療が必要な時、生活保護がないと救う方法がない」という付録がつきました。しかし、二審、三審では門前払いの判決でした。第2のゴドウィンさんがくも膜下出血になったら救う方法がないという怖い状況にあるのです。未だに生活保護で救えない一部の外国人がいますから、支援しているグループは苦慮しています。そこで、道で倒れた人を救わなければならないという「行路病人法」を利用するなどして救っているのです。日本にはそれなりの医療制度がありますが、外国人には最低の命の保障がない、といえます。
一方、保険に関しては1992年から「1年以上のビザがない人は健康保険に入れない」ということになりました。6ヶ月のビザをもつ人など法律の狭間にある人が重病になり、多額の医療費を請求された時、それを支払う方法がないということです。日本の裁判所は国際人権規約を無視することがあります。
「生活保護」の原則について、ゴドウィン裁判で意見書を書かれた、当時大阪府立大学の庄谷先生が強調されていたのは、「生活保護というのは『最低限度の保障』というが、命の保障であり、最後の砦であるからそこに国籍条項があってはいけない」ということでした。生活保護の原則として、福祉事務所関連の他の施策で救えないとなったら、そこの福祉事務所が最終的に救済するというのがあります。ゴドウィンさんの場合、裁判では門前払い的になりましたが、そういう生活保護の原則からいっても救われるべきものであったということです。
震災で救済されなかった外国人
5番目は、「阪神大震災と外国人」についてのことです。災害の下では差別はないだろうと思っていましたが、典型的なものが2つありました。色々なグループが糾合して一部解決しましたが、「弔意金を受け取れない外国人犠牲者」がいたということです。「一定以上の災害と認定された時に災害で亡くなれば弔慰金を出す」という制度があり、阪神大震災で亡くなった人にはほとんど弔慰金が出ていますが、観光旅行で来ていた人、またオーバーステイが原因で外国人登録をしていない3人に出なかったのです。厚生省との交渉では、「それは地方自治体の判断ですから、神戸市が新しい条例をつくり、その人達にも弔慰金を払うようにすればいい」と言われ、たらいまわしにされました。最終的に3人に対する弔慰金は出ませんでした。我々は、民間弔慰金としてそれぞれに100万円ずつお渡ししました。
もう一つ、治療費のことですが、クラッシュ症候群、日本語で挫滅というのがあります。これは、瓦礫に埋まり血液が充分に流れなくなると、2、3時間後に筋肉が防衛反応として毒素を出して、人工透析を3時間以内にしないと死んでしまうというものです。1週間人工透析をすると、保険がない人の医療費は300万〜400万になるそうです。保険に入っていないオーバーステイの外国人4人がお金を払えませんでした。お金が支払えない場合、病院から追い出されるのです。結局、兵庫県は病院への未払い金は払いましたが、治療費の問題では、「保険に入っている人は災害救助法で救援するが、保険に入っていない人は救援しない」ということがあるのです。災害救助法を読み解き、論を立てましたが、災害救助法で治療費は出ないということになったので、最終的に県が私達との交渉の末に外国人特別施策をつくりました。結局、ゴドウィンさんのことが解決していないからこのような問題になったのです。地震が起こった時に、生活保護で救えといってもはじまらないとわかっていたので、災害救助法を材料にして県と粘り強くかけあって実現したものです。
差別があってはいけないという大原則
以上の1〜5というのは、それなりの時代を反映しているといえると思います。1970年代までの在日外国人問題は、量的にも質的にも、基本的には在日韓国・朝鮮人の問題でしたが、今は多文化共生外国人の世界は広がっているということです。それぞれ、固有の課題と共通点があると思います。古来の在日韓国・朝鮮人の問題でいいますと、最大の問題である戦後補償の問題の決着がついていません。これは、積み残されている大きな課題の一つです。
いずれにしても大原則がありますが、それは「差別があってはいけない」という単純なものです。ある地域で住民として暮らしている人間は国籍に関わらず同じ住民だということです。そういう大原則からすれば、国籍、在留資格、オーバーステイの問題を抱える人達が、命と安全を得て一緒に暮らせるような社会にしていかなければならないのです。この間それなりに進捗を見せていますが、まだまだ外国人のおかれている状況にアンテナをはり、問題点をみつめ、共にその問題解決のために進んでいかなければならないと思います。
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