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李 仁夏さん
| プロフィール
1925年、韓国生まれ。戦後、日本とカナダで神学を修め、帰国を試みるも果たせず、川崎市を拠点に宣教、福祉と人権の運動に関わる。元日本キリスト教協議会議長。1998年度朝日社会福祉賞受賞。著書に「寄留の民の叫び」「自分を愛するように」等。 |
在日大韓基督教会川崎教会 名誉牧師
社会福祉法人青丘社 理事長
「ぱだ2号館オープンを祝って
〜川崎の南部で地域福祉に関わって44年〜」
2003年10月16日
ぱだ2号館「いくのにし
うりちぷ(我が家)」設立記念会
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アンニョンハセヨ(こんにちは)。「ぱだ2号館」がこのように設立したことを心からお祝い申し上げます。今回、民団のみなさんが、こういう場を併置したことを大きく評価したいと思います。
私は15歳で日本に来ました。向こう(当時の朝鮮)の学校がその当時、日本によって潰され、勉学のために京都に来ました。そして15歳からずっと自分の人生を取り仕切る歩みをして来ました。私は結婚して、子ども、孫を持っています。実は1959年に家族で韓国に帰る予定だったのですが、うまくいかなくて、しばらく川崎にいることになりました。そして娘を幼稚園に通わせようとしたら壁があることがわかりました。その当時、息子の小学校入学に際して「日本人の保証人をつけろ」と言われる、きびしい状況でした。
そういう生活を戦前・戦後、「在日」はもろに受けてきました。国家によって切り捨てられ、自分の意志に反して日本に来なければならなかったという歴史を誰もが担っています。
先程、宋貞智さんが「民族」が大事な言葉である、とおっしゃいましたけれども、私は「民族」とは、国家と結びつくと優越・排外意識をもつ構造があると考えていますので、「民族」という言葉を非常に注意深く使っています。
「民族」が「国家」に束ねられず、個々人の関係を紡ぐと、素敵な関係ができるのに、日本人ひとりひとりが国家権力とつながってしまった瞬間に、異文化の他者を排除していきます。また、あえて言いますが、「在日」が、自分が日本に長く生きているという「土地の者」の権利を主張して、ニューカマーに、日本人以上に厳しく接することもあります。これは土地の者意識を持つ日本人にも根強くあることです。「在日」はそういうものを担う構造から脱出し、民族の壁を乗り越えていかなくてはなりません。
1969年に川崎で教会の礼拝所をオープンにし、保育所を開きました。それは無認可の保育所だったにも関わらず、たくさんの日本人がきました。日本人も1960年代の池田内閣の所得倍増計画によって、子育てに苦しんでいたのです。また、日本人でも遠くから川崎に移り住んだ人は、そこに伝統的に住んでいる人から「はじかれる」という構造がありました。そこで、日本人と在日同胞とが一緒になって保育所を始めたら多文化共生の素敵な保育園になったのです。今では、日本全国の多くの人が見学に訪れる保育所に発展しました。
1970年代、「日立就職差別事件」がありました。これは在日同胞にとって大きな事件です。私たちは当時、入社試験に合格したにも関わらず朴鐘碩君を一方的に排除した日立製作所に対して裁判を起こしたのです。しかし、その時、民族団体は助けになりませんでした。なぜならその当時、民族組織は本国政府と色濃い関係にあり、日本国内でも南北対立の状況だったからです。しかし「日立就職差別闘争」で相手にすべきは、日本の国家制度と、それを支える日本社会だったのです。「在日」の基礎的な権利を求めることに対して拒否反応を示すこの民族団体の本国体質を乗り越えて、どう日本人と日常的に付き合っていくかが非常に重要です。南北の分断国家とそれぞれのつながりはあるとは思いますが、手をとりあって、向かい合う相手は日本の国家だという認識をもつべきです。
土俵は日本です。土俵は生野です。
今回、「ぱだ2号館」が設立したわけですが、自分たちの親世代の生活の面倒をみようと立ち上がった民団の役員のみなさんに心から「おめでとう」と言いたいと思います。
実は川崎の高齢者プログラムは、「ぱだ」に2回も先を越されています。こういうディサービスを作ろうと思って一生懸命努力しても、こんな素敵な場所が借りられません。
このあいだの金曜日に、社会福祉法人青丘社は法人格を取得して30周年を迎えました。そこで青丘社の歩んできた軌跡を振り返ろうと、研修会をおこなったのです。そうしたら青丘社に身を寄せているスタッフが145人もいるということがわかり、驚きました。その中にまた98名の日本人スタッフがいて、今日までやってくることができたということもわかったのです。日本人スタッフたちは『「在日」のことを日本人が責任もってやらなくては』という思いで、そして私は私で『ここは日本社会だから日本人も参加できるように』という思いで青丘社をつくってきました。そして、実に豊かな多民族共生の流れを作り出すことができ、「青丘」という朝鮮半島にちなむ素敵な文字をともに紡いで今日までくることができました。現在、保育園、学童保育、障害者、ふれあい館、高齢者と、事業をすすめており、「在日」スタッフが48名いるのですが、その中には、フィリピンの女性のヘルパーもいますし、アルゼンチン出身の保育士もいます。
国家では多民族共生はつくれません。21世紀は市民ひとりひとりが手をつないでやっていかなければなりません。民団のみなさんも、行政のみなさんも、大学の先生、ジャーナリストもみんな、市民が連帯してつくっていくべきものなのです。
真実・和解・平和という3つの言葉が鍵です。真実とは過去の歴史を隠さず、きちっとおさえることです。在日一世の写真をずっと撮ってきた写真家の菊地さんという方が『個人の意思ではなく、国家によってつらい人生を強いられてきた人たちの真実がわかったときに和解ができる』とおっしゃっていました。その和解が平和につながっていくのです。そしてそれが北東アジアの平和につながっていくのです。
それを「生野」という地域社会から始めていって欲しいというのが、私の提案です。
私は、みなさんがそれを心からサポートすれば、多文化共生が生まれ、和解と平和が実現するという確信をもちながら、お祝いを込めて短いながら経験も語らせていただきました。カムサハムニダ(ありがとうございました)。
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