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榎井 縁さん
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プロフィール
神奈川県出身。大学卒業後、ネパールに渡りチベット難民小学校等でソーシャルボラ
ンティア活動に従事。帰国後、チベット難民児童奨学会設立(同会代表)。市民活動を主体とした多文化共生のまちづくりに取り組んでいる。
1990年日本青年会議所TOTP対象読売新聞社賞受賞。
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財団法人とよなか国際交流協会 事業課長
「多民族共生できる企業をめざして」
2003年10月6日
2003年度第2回
多民族共生人権啓発セミナー
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ダイバーシティ(多様性)と企業
1990年代に「多文化共生」という言葉が流行るようになりますが、経団連もこれを言い出しました。これは1989年に入管法が変わって、1990年以降日系人が労働者として導入された時期と重なっています。経団連はここ2〜3年、「ダイバーシティ(多様性)」ということを言っています。企業中心の社会から、もっと個人個人を機軸に転換しないといけないと言われてきています。
「ダイバーシティ」という考えはどこから出てきたか。アメリカの公民権運動は1950年代まで社会を支配したアメリカ的な価値観「西欧系白人・プロテスタント・成人男性」から積極的差別是正措置により歴史的民族的差別の補償を求めたものであるが、1980年代になってから同じ文化圏に属していても、ジェンダーやセクシャリティ、発達障害や年齢といったサブカルチャー含めた違いについてもきちんと認めていこうという流れがあったのです。当然、企業の方は多様性をきちんと捉えておかないと、雇用した人にきちんと対応できなくなります。人権侵害は会社のリスクです。それからまた、グローバリゼーションの中で、一国・一民族だけを相手にするのではなく、多様な市場をもたないと生き残っていけなくなりました。「ダイバーシティ」を進めるなら、女性や障害をもった人や高齢者も積極的に雇用する必要がありますが、日本の企業ではそこがネックになっているんじゃないでしょうか。
強いプル要因 〜日本が労働者を引き寄せる〜
「ニューカマー」といわれる新しく増えた外国人の状況は、この十年で本当に激変しました。よく、地域の方からこういうことを言われます。「外国人は、日本が経済的に豊かだから、お金を目的にやってくるのでしょう? 嫌になったら帰ればいい」と。その時に私が説明するのは、人が移動する時には必ず、その人を押し出す要因(プッシュ要因)と引きいれる要因(プル要因)があるということです。日本の場合、実はプル要因のほうが強いということを申し上げています。
それはなぜか。日本の将来推定人口の統計によると、15歳から64歳までの生産年齢人口は下がる一方です。今後25年間で人口が1450万人減るわけですから、簡単に割り算をしても、年間50万人ずつ労働人口が減ります。今年の8月に経団連が、外国人労働者受け入れを促進することを提言しました。経済団体が外国人労働者受け入れにしぼった本格的な提言をおこなうのは初めてだそうです。今の少子高齢化に対応するには人を増やすしかない。日本のプル要因、引き込む要因は非常に高いのです。しかし、戦後一貫して日本政府は「単純労働の外国人は受け入れない」と言い続けています。
外国人を世帯把握できない行政
戦後、新憲法をつくる際、最初GHQが起草案をつくりました。その時は、50〜60万もいる旧植民地出身者の権利を当然保障すべきなので、国民の概念を、「すべての人は」と表現していました。しかしそれが一転二転して、結局「すべて国民は」になりました。「国民」を定義するのは国籍法ですが、そこでは「日本国籍をもっていなければ日本国民でない」とある。国籍がないから戸籍がなく、住民票がつくられない。外国人は住民ではないことになります。でも一方、地方自治法は「そこの地域に暮らす人は住民である」ことになっていますから、矛盾が生じます。それでどういう不都合が起こっているかを少しお話します。
国際結婚は、2001年には20組に1組にまでなっていて、そのカップルの間に生まれる子どもも増えています。1987年から2001年までに42万人ぐらい国際結婚の子どもが生まれ、日本国籍をとる子はその6割ぐらいです。だから、お父さんお母さんは国籍が違う、ルーツが違うという子どもが増えているわけですが、自治体の役所では、国際結婚の家族を「世帯」として把握できていないのです。
外国人は戸籍と住民票ではなくて、入管法と外国人登録法で管理統制されますね。世帯把握ができないから、役所ではサービスから漏れないようにするためには、一枚一枚、台帳をくって調べないといけない。「2000年問題」があった時、職員は何かあったら困るということで役所に待機したんです。その時に気づかれたのが、外国人住民に何も知らせていないということでした。つまり住民票に基づいてお知らせをしたから、外国人には何もしていない。危機管理の問題があるわけです。
何かあった時に、言葉がわからないとか、情報が行き届かないということで、その人たちを疎外することが、地域全体にとってマイナスになります。保険と同じ考え方ですね。病気を予防していこうと思ったら、みんながきちんと予防接種をうける必要があります。しかし現状では、外国人が法的にさまざまな人権を保障されない。日本の国内法には、外国人を守る法律が一つもありません。ですから国際的な条約、日本が批准した人権規約が大きな力をもってくるわけです。
難民受け入れも外圧で
1975年にベトナム戦争が終わって、ベトナム・ラオス・カンボジアからたくさんの難民が、いわゆるボートピープルというかたちで出てきました。その時日本の漁船がボートピープルを見捨てたということで、まず海外で叩かれたんですね。この時日本政府が焦ったのは、ちょうど1975年がサミット(先進国首脳会議)の初めの年でもあったからです。「日本はなぜ自分たちと同じアジア人を受け入れないのか。人権無視するのか」ということを欧米の新聞が告発しました。いわば外圧で、日本は難民条約に批准させられます。その時入ってきたのが、いわゆるインドシナ三国からの定住難民の人たちです。また、難民条約に入ると内外人平等の原則があり、社会福祉制度の国籍を撤廃したということがありました。しかし外圧で批准したわけですから、そもそも積極的に難民条約に加入したわけではなかったのです。それまでにも外国籍で、権利を保障されなかった在日の人がたくさん運動してきたのに、何もしなかったわけですから。
昨年、中国の瀋陽の駆け込み事件で明らかになったんですが、日本は1982年に難民条約に加入してから20年もたつのに、この間、日本が難民認定した難民は297人しかいないんです。たとえばドイツは91万人の難民を入れている。イギリスでは毎週300人程度の難民を認定している。なのに日本は、ということで非難されて、初めて慌てるわけです。
地球規模で守るべきルールとしての人権
なぜ難民認定がそんなに少なかったか。それは、「逃げてきて60日以内に証明できないと難民として認められない(60日ルール)」と、「確かな証拠」が必要というのがあったんですね。命からがら逃げてきた人に、それはもう本当に無理な話です。難民と認められず国に帰されて自殺した人のニュースもありました。人権感覚を問われるようなことを平気でやってきた。でもこれからは無自覚にはおられないはずです。
グローバリゼーションというのは、ひとつは市場の多国籍化ですが、人権の分野にもグローバルに、最低限守られるべき人権の基準があります。そこからみて、どう考えてもおかしいということは、直していかざるをえない。「企業の論理」「労働の現場での論理」もあると思いますが、「日本に来たから日本のルールに従ってもらわないと」とは言い切れない状況があるのです。たとえば裁判で、国際人権法を根拠にたたかわれるケースが出てきていますね。このあいだ小樽でありましたが、人種差別をした入浴施設が300万円を払っていました。最低限の人権基準をみたしていなければ、裁判で負ける可能性があるのです。
外国人女性への深刻なDV
国際結婚は4対1の割合で「夫は日本人、妻が外国人」が多いです。外国人の妻・夫の法的地位は、「日本人の配偶者等」となるのですが、この人たちはその身分である限りは日本にいられるわけです。でもその身分関係が破綻したら退去強制です。
このあいだ最高裁で、日本人男性に離婚されたタイの女性が裁判に負け、強制退去になりました。奈良の人もそうでした。ひどい暴力を受けて精神的にも病んでいるなど、ひどいケースが多いです。「日本人の配偶者等」というのは、つまり「日本人と結婚している」という限りにおいて、(日本に)居ていいビザなんですね。つまり家庭不和になって「離婚したい」ということになると、「国に帰ってください」になってしまうビザなんです。日本人男性が浮気をしていたとしても婚姻関係が成立してないとなれば外国人女性は退去強制になってしまうということなのです。そうした女性の在留資格を認めよという運動があったんですが、最終的には、婚姻関係が破綻しているならということで、退去強制になってしまいました。
この「身分」に関係するのがDV(ドメスティック・バイオレンス)なんです。日本の配偶者からいくら暴力を受けたとしても、この関係が破綻したら困る。子どもがいる場合は、親権がなかなかとれない。そうなると退去強制で子どもと離別させられる。だから我慢するんです。あるいは男性側が、「誰のおかげで日本にいられると思っているんだ」と平気で言うわけです。つまり力を持っているわけですね。その関係は、日本人である配偶者側に力がある。「いざとなったら、お前なんか国外に追放できるんだ」といわれることが本当にあるんです。
親権がとれて日本人の実子を育てているということで、法務大臣の裁量でビザがとれることもありますが、これも最近厳しくなってきました。
「不法」外国人という言葉が意味するもの
「不法外国人」という言葉がありますね。「不法」とは何でしょうか。この「法」は、出入国管理および難民認定法の法です。これは外国人にしか及ばない法律です。入管法に違反すると、退去強制、「日本から出て行ってください」ということになります。もし殺人とか麻薬とかが絡んでいれば、刑事事件になるのでややこしいんですが、ほとんどは「外国人登録法違反」とか「入管法違反」で退去強制なんですね。退去強制になるとどうなるか。国外に出ればいい。つまり、空港のイミグレーション審査を通った瞬間に、終わりなんです。あそこに連れていって、あそこに入れる、というのは行政処分なんですね。日本さえ出て行ってくれたら、その罪は終わるんです。
たとえば私が道路交通法に違反して、罰金を払ったら、「不法日本人」ですか。たぶん立派な「不法日本人」になると思うんですが、そう言われない。「確かに悪いことしました。それに関しては罰金払います」と言いますが、全人格を否定されることはない。
入管法はそもそも人権を守る法律じゃなく、「外国人は犯罪を犯す」という前提のもとで管理統制している法律なので、こういう扱いになるんです。だから「不法外国人」と、いかにも全人格を否定されるようなかたちで言われていますが、これは「入管法違反」なんだ、ってことを知っていただきたいと思います。
この管理統制の法の下、何十年も日本で暮らしているのが、30万人の「不法滞在者」と呼ばれる人たちです。前の年は27万でした。増えています。かれらは地域で生活してるわけですね。もし凶悪犯だったら、それこそ摘発・逮捕されてもおかしくないわけです。普通の生活をして、普通に納税をして、普通に働いているという人たちをどうするのか、ということが問われているわけです。30万人を退去させて、日本の経済が成り立つのか。それだったら、もっと、ちゃんと法的にも位置付けるべきでしょう。
二つの「ハイガイ」を越えて
自治体の国際交流は、だいぶ変わってきましたが、戦後から1980年代まで姉妹都市交流やフェスティバルが中心となっていました。日本の「国際」は二種類のハイガイを行ってきたといえます。欧米に対しては「仰ぎ見て崇拝する」拝外。旧植民地、アジアをはじめとする第三世界に対しては「見下して排除する」排外。長い時間かけてこうした見方が無意識に染み付いていることを、意識して変えていかないといけないと思っています。
つまり、白人で青い目で金髪の、いわゆる英語圏の人々を見ると、私たちは「あ、私、英語がしゃべれない」と思ってしまう。逆に、アジアの人を見る時に、「あ、私は中国語がしゃべれない」とは思わないんですね。「この人、日本語ができない」と。
そういう、つくられてきたものをきちんと読み解いていくという作業が、人権の感覚を取り戻すという意味で、とても大事だと思います。
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