多民族共生人権教育センター
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講演 陳天璽さん「無国籍者として生きるとは」

陳 天 璽さん

プロフィール

陳天璽さん1971年 横浜中華街生まれ。筑波大学大学院 国際政治経済学博士、香港中文大学、ハーバード大学客員研究員、日本学術振興会特別研究員を経て現職。華僑華人、無国籍者に関する研究に従事。著書に『華人ディアスポラ』明石書店。

国立民族学博物館 助教授

「無国籍者として生きるとは」

2004年2月23日
2003年度第4回 多民族共生人権啓発セミナー

 

国籍はどう与えられるのか

 日本には、日本生まれであっても日本国籍をもっていない人がいます。私も日本生まれであり、去年日本国籍を取得しましたが、ずっと無国籍状態で生きてきました。日本の国籍法は出生地主義ではなく血統主義が基本となっています。親が日本の国籍をもっている場合、その子は日本の国籍を取得しますが、親が外国人の場合は、親の国籍の国の人として扱われます。私は日本に生まれ、日本に生活基盤がありますが、出生当時親が中国人だったので外国人登録では中国人となりました。そして、生後まもなく無国籍となり30数年過ごしてきました。
 ご存知のとおり大阪はコリアンの方が多く、日本で生まれた方もいらっしゃいますね。この後もケースでご紹介しますが、国籍を考える時には、どこに生まれたか、どういう行政手続きをしたか、また国の政策によって個人の国籍がかわってくるというのを知って頂きたいと思います。日本人の方々は、日本国籍を有し、日本人としてのアイデンティティをもっていると思います。それでは、無国籍はどんな人たちで、どのようなアイデンティティをもっているのでしょうか。
 無国籍者とは「法的にどの国の国籍も有しない人」のことをさしています。そして、「どの国にも、国民もしくはその市民として認められていない人」のことなのです。私が以前所有していた日本の外国人登録証の国籍欄には「無国籍」と記載されていました。
陳天璽さん 無国籍の人は平成13年度の在留外国人統計で1,904人となっています。日本で外国人登録の統計を見ると、一番多いのは、コリアン、次に中国、ブラジルときますが、そのリストの最後の方に「無国籍」という欄があります。しかし、「無国籍」の人の数に、登録されていない人達は含まれていません。例えばオーバーステイの人たちが日本にきて、子どもを生んでも、自分のオーバーステイがわかってしまうことをおそれ、出生届けをださないということがあります。そうすると、子どもは存在しない人間として日本に暮らすことになるのです。そういう人たちが増えており、実際無国籍者はもっと多いと推測できます。
 このほか、無国籍者の問題として、移動する人たちの間で、国によって登録もれや、国籍法の狭間に落ちてしまう人たちがいます。先程も話した出生地主義と血統主義の違いが発生原因の一つになっています。
 例えば、ブラジルは出生地主義をベースにしている国です。ブラジル人が来日し、日本に定住している人が増えています。彼らは、外国人登録ではブラジル人、在留資格は定住である人が多いです。彼らが日本で子どもを産むと、日本は血統主義なので、その子はブラジル人として外国人登録されます。しかし、ブラジルでは出生地主義をとっているので、ブラジルで生まれた外国人の子にはブラジル国籍を与えても、外国で生まれたブラジル人の子には自動的に国籍は与えません。日本で生まれた子どもがブラジル国籍を取得したい場合は、親が一度その子をブラジルに連れて帰り、届けを出さなければなりません。親が国籍法のことを知らない場合、その子どもは日本ではブラジル人とされていても、ブラジルに届けを出さない限り、登録されていない「透明人間」になるという問題がおきるのです。

無国籍者の人数

 日本の外国人登録をみても、本当の無国籍の人がどれくらいいるのかということはなかなかわかりません。そういった点から、国々の国籍法、政治的な変動などで国と国の狭間に落ちてしまっている人たちがいます。その数は約数百万人といわれています。これは、UNHCR(国連難民高等弁務官)による数字ですが、彼らも正確につかめていないという状況です。私が無国籍であるということで新聞に掲載された時も、日本に駐在していた難民高等弁務官の方から連絡がありました。「あなたの記事をみて驚きました。日本政府は、無国籍者問題は日本にはないといっていたからです。実は、無国籍の人たちに関して、どういったケースがあるかということを難民高等弁務官の方でも、把握しきれていないのです。無国籍者問題に関しての専門官も、全世界1人しかいないのです」と話されていました。このように、無国籍者問題は、社会的な認識がまだ低い状況です。
 一方、無国籍の人も自分が無国籍であることを知らないままでいるケースもあります。先述した、ブラジル人の子のケースのように、外国人登録証の上で表示されているものと、国籍が必ずしも一致しなかったり、事実上無国籍ということに後から気づくということもあります。
 無国籍の人たちというのは、数も少なく、声も出しにくい、どこに相談にいけばいいのかもわかりません。一人一人ケースも違います。そして、色々な国の事情によって、無国籍の人の問題は違っている、というきわめて難しい状況です。

日本に生まれ、そして無国籍者となった経緯

熱心に聴く参加者 私が無国籍だった頃の具体的なケースでお話したいと思います。私は1971年に生まれた時に台湾の中華民国のパスポートをもっていました。当時、日本は台湾にある「中華民国」を中国の正統政府とし、国交を結んでおりました。1949年に成立した「中華人民共和国」は共産国ということで、日本は外交関係を有していなかったのです。
 当時、日本には華僑が5万人ほどいました。その人達は「中華民国」の国民として扱われていました。しかし、1972年に日本の外交政策が変わり、中国の正統政府は「中華人民共和国」であると認識を変え、新たに国交を結び、一方「中華民国」とは国交を断絶しました。その時に日本に在住していた華僑の人たちは、国籍の問題を抱えたのです。日本が認めない国の人間として暮らす場合の不便を考えて、日本が認める中華人民共和国の国籍に変更したり、日本の国籍を取得する人が出てきました。しかし、今まで「○○国の人間、国民だ」と思っていきてきた人が一夜にして、国籍を変更して違う国の人間になるというのは、難しいことです。
 私の父は、1912年旧満州、ハルピンの生まれで地主の息子でした。当然、日本語の教育を受けた経験を持っています。第2次世界大戦後、共産党と国民党が争う中、共産党からは第一に捕まえられ、殺されるような立場でした。そこで、内乱のなか田舎から逃げるようにして、香港を経由して台湾渡りました。しかし、彼にとって台湾は生まれた地と気候も習慣も違い、自分の居場所ではないような気がしていたのでしょう。数年後にはハルピンに戻ろうという気持ちでいましたが、状況が許さず帰ることはできませんでした。そして自分や子どもの将来を考え、台湾を離れ新天地を拓くため、言葉のできる日本にきたという経緯があります。
 父は1972年国籍問題が起こった時、今までの経緯や社会的背景から、日本国籍をとることも、中華人民共和国の国籍を取得することも、できなかったのだと思います。そこで家族全員が無国籍となったのです。つまり、私が「無国籍」になったのは戦後、台湾から来日した父母が1972年の日台国交断絶で、日本か中国かの選択を迫られた際にどちらも選ばなかったからなのです。そのころ私は1歳未満だったのですが、その後無国籍の状態で日本に暮らすこととなります。幼稚園はインターナショナル・スクールに通いました。その後、両親は日本の某有名小学校に私を入学させようと考えましたが、無国籍児を教育したという前例がないということで入学できませんでした。結局、中国人として育てたいという父の意向から、その後は横浜中華学院という民族学校に進学しました。言葉の面では、中国語と日本語を使い、自分の中では色々な文化があるのが普通でした。私のアイデンティティも、そんな中で形成されてきたと思います。

国境を実感した経験

 小学校に入った時に、母に連れ添って台湾に行くことがありました。国籍を持っていない人のパスポート代わりである再入国許可証の国籍欄には「無国籍」とあり、それが気になりました。親に聞いて、私の国籍は「中華民国」であり日本には認められていないので日本で無国籍になっている、という理解をして暮らしていました。
 大学時代に両親とフィリピンでおこなわれる会議にいく用事が入った時の事です。帰りに、兄に会って帰ろうという話になりました。台湾に到着し入国審査で、両親は台湾に入れたのですが、私は「あなたのパスポートにはビザが必要です、華僑のパスポートは台湾に暮らしている人と違います。ビザを申請しなければ入れません」といわれました。結局、ゲートごしに両親と別れ1人で帰ることになりました。両親は台湾に住んでいた経験があり、現地にも戸籍と身分証があるため、問題なかったのでしょう。
 そして日本に帰り、入国ゲートで再入国許可証を渡して日本に入国しようとしました。すると、「再入国許可の期限が切れているから、日本には入れない。国に帰りなさい」といわれました。私は「今、自分の国だと思っていた台湾に入れないといわれて帰ってきたのです。日本の永住者です」というと、「そんなの関係ありません、日本には入れません」と言われました。
 結局、出国前にすでに再入国許可のビザがきれており、出国手続きをした審査官が確認をしなかったという手続き上の問題があったということで、日本に入ることができました。 

日本にいる他の無国籍者

陳天璽さん その後、無国籍のことを勉強するようになりました。そこでアメラジアンのことについて学びました。アメラジアンというのは沖縄に多いケースです。沖縄で米軍基地の兵士と、沖縄の女性が婚姻関係になると、そこで生まれた子の法的立場が曖昧になることがありました。例えば、結婚後、うまくいかなかった場合、離婚届をださないまま男性がアメリカに帰るケースがあります。その後、日本に残った女性が日本人男性と事実上婚姻関係になり、届け出を出そうと思っても、離婚届を出していないために法的に夫婦になれないという問題がありました。日本人のお父さんから子どもが生まれても、お父さんとお母さんが婚姻関係にないと、その子はお母さんと婚姻関係のままになっているアメリカ人の子としてみられるのです。そうすると、お父さんがどこにいるのかわからないので、アメリカの国籍も取得できず、無国籍になってしまうというケースがありました。その後沖縄において、女性の人権という観点から、子どもが母親の国籍を取得することができるように運動があったのです。その結果、日本の国籍法は1985年以降、父系血統主義から父母両系血統主義に変わり、アメラジアンの無国籍のケースは減ってきました。
 それ以外に増えているのは、フィリピンの方やタイの方が興行ビザで来日した後、日本人の男性との間に子どもができ、そこから無国籍児が発生するケースです。彼女たちは言葉の問題や法的な知識など色々な問題をかかえています。彼女たちは宗教上の背景から、避妊することや、子どもをおろすことに抵抗があります。子どもができても男性側がすでに結婚をしており、子を認知できなかったり、また母が子の出生届けを出すことで自分がオーバーステイであることを知られるのをおそれて、出生届を出さないがゆえに、子が無国籍になるというケースがあります。

就職に関わる国籍問題と帰化申請

 仕事を得るということに関して私の家族が経験したことをお話しします。私の兄は、日本のある大手企業に就職した際、無国籍ということが問題になりました。そして、正式な社員としてではなく契約社員として雇われました。彼は、中国語も日本語もでき、中国人とのやり取りや習慣も分かっていたので、中国関連の案件を扱う際の評価は高いものでした。会社が台湾に支社を作る事になった時、上司から「支店長にしたいので、日本国籍をとってくれないか」と言われました。その為彼は帰化申請をしましたが、2年ほどの調査期間を経た後、「不許可」となりました。その理由は、出張などで自分の祖国である台湾と中国に頻繁に出入りしているからということでした。結局支店長の話はなくなり、事実上次のポストに就くことになりました。 私自身は大学で国際関係を学びました。そこで、将来の職種として外交官に関心が出ましたが、国籍がないとどこの外交官にもなれないということに気づきました。企業への就職も考えましたが、兄の就職問題があったため私自身の就職にも恐怖心をもってしまい、もっと自分の力をつけることを考えて進学の道を選びました。
 その後、ニューヨークに行ったときに、国連での職に関する情報を見て応募を考えました。しかし、国連で就職するためには加盟国の国籍が必要であり、国連でも結局は国籍がないと駄目だと知り、がっかりしました。そこで、日本に帰ってから帰化することを考えました。
 帰国後、国籍課に行って、「無国籍なので、日本国籍をとたいのですがどの様な手続きが必要ですか」と言うと、係りの方に「無国籍って何ですか?」と言われました。法務局の国籍課の人で無国籍のことを知らないのかと私の方が驚きました。さらに、「あなたは海外にいきすぎだから無理だね、日本におとなしく5年くらいいなければならない。収入も必要だし、家族と住んでいるなら、同じ住所に住んでいるうちの1人が帰化するのは無理だから引越ししなさい」と言われました。私の場合アメリカに3年間行っていたので無理だと思いましたが、兄に話すと「1歳から5歳までは日本に住んでいたから5年住んでいたことにもなるよ」と言われました。その時に、法はどうにでも解釈できるのか・・・と思ったのを覚えています。結局、アメリカから帰ってきて日本で収入を得て、住所も変更し、5年かからないうちに帰化をしました。
 私は国立民族学博物館に就職し、国家公務員になりました。しかし、実は採用過程で無国籍の人が国家公務員になれるかということが問題になりました。国立民族学博物館では外国人の研究者も受け入れてきました。私の場合、「無国籍者という研究テーマはおもしろい」ということで採用されたのですが、本採用になる前に無国籍である私が、国家公務員として採用できるかどうかは分からなかったのです。

「国民」と「住民」の捉え方

陳天璽さん その後日本国籍を取得しましたが、私は日本風の名前には変えませんでした。家族から離れ、戸籍も1人でつくりました。 日本のパスポートをつくるために書類で戸籍謄本が必要なので役所に取りに行きました。書類を提出した時私の名前を見て「失礼ですが書類を間違っていませんか。日本国籍の人しか戸籍謄本はありませんが」といわれました。私の名前からして、日本国籍を持っている人だとは思えなかったのですね。日本では、日本的な名前でないと日本人として扱われないのだな、と思いました。
 戸籍ができてようやく住民票もできました。外国人や無国籍の人は、外国人登録済証明証が日本国籍をもつ人の住民票の代わりをしています。私はそれまで永住者として横浜に暮らしていました。れっきとした住民です。私には住民票がないのに、「タマちゃん」が住民票をもっていることに疑問を抱かずにはいられませんでした。
 また、それまで私は国民健康保険を持っていました。私は「国民」ではありませんでした。住民であっても、住民票はない、国民でなくとも国民健康保険は持っているという状態でした。法的な矛盾や行政の事務手続きに、不思議さを感じてきました。

無国籍者を通してみえてくる世界

 こうして見てきて思うことは、国籍で人を分別することには、そこから生まれる差別や不平等なことがあるということです。社会の方で無国籍者に対する理解や認識もまだ低いです。無国籍者として生きてきて、私たちは国籍や民族をこえて、「個人」を見てどのように評価するのかという姿勢が大切だと感じてきました。
 そして、無国籍者の研究を通して見えてくるのは、私たちは「国」という枠の中に入れられがちだということです。「国民」もしくは「外国人」など、国で境界が引かれることで、アイデンティティを形成する事や、人がカテゴライズされがちになるのです。
 無国籍者は、どこにも当てはまらずにそこからはみ出て狭間に落ちてしまう、ということになるのです。無国籍者であるからこそ、「国」というものの限界や法の矛盾というのを感じることがあります。そして彼らは、どこの国のために闘うということもできません。戦争がおきたら、どの国が助けてくれるということもないでしょう。
 私はそういった人たちの視点から、人としてのあり方、もしくは社会と人の関係、国家と人の関係、を考えていきたいと思っています。昨今のILOの統計にでているように、グローバル化によって世界において60人に1人が移動や移住しているという現状があります。それくらい、移動、移住が頻繁に行われているのです。つまり国々や人々の視点は移動する人たちに追いついていないのです。そのため、国籍法などから矛盾が出て、無国籍の人が生まれるという状況があります。そういった中、無国籍の人が発生しない社会、もしくは無国籍の人が他の国民と同じように人間として平等に扱われる様な社会になる事を望んでおります。

 

 

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