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朴 洋幸 さん
| プロフィール
兵庫県尼崎市出身の在日3世。
大学時代に、在日朝鮮人問題研究会に所属した関係から、卒業後、在日コリアンの人権問題に取り組む団体の専従スタッフを5年間勤める。一旦民間会社に勤めたのち1998年より現職に。2002年「八尾市国際化施策基本指針検討市民会議」委員。2004年「八尾市地域就労支援基本計画推進委員会」委員。 |
(トッカビ子ども会 事務局長)
「消えていく異文化の子どもたち」
2005年2月3日
第4回 多民族共生人権啓発セミナー |
こんにちは、はじめまして。
今ご紹介頂きました、トッカビ子ども会の朴洋幸と申します。よろしくお願いします。
私は、在日コリアン3世です。私の父は韓国籍で母は日本人です。祖父が1938年に徴用のため日本に渡ってきました。私は尼崎で生まれ育ちました。尼崎も在日コリアンがたくさん住んでいる地域です。そのため、物心ついた頃から自分が日本人ではないということは分かっていました。今では、そこで得た思いや経験、体験があったから今の職に就いているのかなと感じています。
在日コリアンを否定しなくてもいい環境づくり
「在日の生活と現実から出発した民族教育を」
1974年にトッカビ子ども会は発足し、昨年で30年を迎えました。トッカビというのは、朝鮮語でオバケという意味のトケビと同じ意味です。韓国では、民話や子ども向けの絵本になったりしています。トッカビ(トケビ)は民衆をちゃかしたり、いたずらするのですが、ときには民衆が困っていることを助けてくれます。非常に民衆から愛されるオバケです。トッカビを作った人たちが名称を考えるときに、トッカビのように、地域の人たちに愛されながら育っていくような活動をしたいということでその名前をつけたそうです。
トッカビは、被差別部落の中の在日コリアンを主な対象として発足しました。その前年の1973年に地域の中学生の非行が問題化しました。この問題について地域にかかわる保護者や先生や青年が集まって対策会議が開かれ、その中で中学生の非行の要因は部落差別であるということで議論がまとめられようとしていました。しかし、当時そこに参加していたコリアンの青年たちが、部落差別も一要因だが、コリアンの中学生にとっては、コリアンであるという社会的背景があることを捉えていくべきではないかという問題提起をしました。
それで始められたのが、中学生を集めての勉強会です。中学生の子どもへの取組みが進んでいくと、その中学生の兄弟などからも「活動に参加したい」という流れができました。その流れを受けて、そういう子どもたちが日常的に参加できる場を作ろうということから、保護者や学校の先生方が一緒になってトッカビ子ども会を発足させました。
子ども会では、当時の言葉をそのまま借りるなら民族の誇りを取り戻そうということで、文化や歴史を学ぶ機会を作りました。“朝鮮人”というだけで差別される現実の中で、自分が“朝鮮人”であると名のることはほとんど不可能な状況にありました。
そういった社会に奪われた民族を取り戻すために、象徴的なこととして民族名を名のろうという働きかけをしていました。子ども会に来ればみんな同じなので、民族名を使って呼び合うことが出来ました。ところが小学校、中学校と進むにつれて、名のれない状況が出てきました。それは民族名を名のっていて就職ができるのか、家が借りられるのか、結婚できるのかという民族差別が壁になって立ちはだかるからです。
トッカビは子ども会活動を通して、子どもたちが生き生きとありのままの姿で社会に巣立つことができる環境作りに努めてきました。具体的には生活にとって重要な就職の機会の保障ということで、八尾市行政職や郵便外務職の国籍条項撤廃運動や、高校生の国体参加の問題等にも取り組んできています。それらを取り組むきっかけは、子どもや保護者の訴えからはじめられたものばかりです。これらの活動を通じて掲げられてきたテーマが「在日の生活と現実から出発した民族教育を」でした。
子どもたちの現状
残念ながらこのような状況は大なり小なり今も続いているといわざるを得ません。「国籍が違う」ことで排除される制度は残されているし、「民族が違う」ことで店から追い出されるといったことがあるからです。このような社会で外国にルーツのある子どもたちはどのように育つのでしょうか。
現在、私たちの活動に関わっているのは、コリアン、中国、ベトナムの子どもたちです。とりわけベトナム、中国の子どもたちが多くなっています。中国帰国者とその家族については、地域の交流の促進を目的として、福祉委員が中心となった交流事業が実施されています。それにはわずかながら国から助成金がおりています。そういう意味では不十分でしょうが、戦争による犠牲者としての対策の一環であることが伺えます。一方ベトナム人は、ベトナム戦争後、国の政情不安によって、危険を冒してまで小さな小舟等で国を脱出せざるを得ない人々が続出し、その人たちを当時先進国の仲間入りを果たした日本が、国際的な流れを無視できなくなり、特別に枠を設けて難民として受け入れた人々です。ですから、ある意味泣く泣く受け入れたといえなくもないでしょう。そのためか各自治体で行われる施策にも違いを感じることがあります。例えば、八尾市では、中国語、ベトナム語対応の相談窓口を開設しています。中国語は週2回行っているのに対して、ベトナム語は月2回しか行っていません。しかもこれは八尾市が行っているのではなく、財団法人のアジア教育福祉財団難民事業本部が八尾市の一室を借りて行っています。このように、同じ外国人であっても出身国によって施策に違いがあることが分かります。
近年、外国人と日本人の結婚が増えています。当然、その夫婦の間に生まれる子どもは日本のルーツともう一方の親のルーツを持って生まれてきます。ところが、その場合大半の子どもは日本国籍をもっています。そのために、その子が日本以外のルーツも持っているということを学校側が把握できていないケースが非常に多くみられます。私たちは八尾市に在住するすべての外国ルーツの子どもたちに向けた取組みを行っています。その際学校に協力してもらって子どもたちに案内を配ってもらうのですが、そこでは日本籍の子どもたちには配られていないといったことが起こります。そういった意味では、せっかく2つのルーツを持って生まれてきたのに、1つのルーツが打ち消されてしまう現実があるのが非常に残念です。ルーツについて把握できていない場合、八尾市ではありませんが大阪市のある学校ではルーツにかかわることで嫌な体験をした中学生が不登校になっているという事例もあります。
また、親の離婚が原因で在留資格を失い、帰国を余儀なくされるという深刻な問題を抱えている子どももいます。日本になじむのは早い子どもでしたが来た当初はやはり日本語が分からないことで苦労をしていました。今では、日本語で得た知識が多くなり、日本語での理解力のほうが高くなっています。ですからベトナムに帰ったら、今度は逆の苦労をしなければならないことになります。結婚して配偶者という形で日本に来て、相手との関係がうまくいかず離婚するというのは仕方のないことです。その結果、配偶者ではなくなったのだから日本から出て行きなさいと一方的に追い出すのは納得ができるものではありません。結局その中で一番つらい思いをするのは子どもたちなのです。
今トッカビには在日コリアン3、4世の子どもたちとベトナムや中国の2世の子どもたちが一緒になって活動をしています。外国にルーツがあるということで一緒に活動しているのですが、ベトナムや中国の子どもたちは、個人差はあるものの母語を理解することができる子が大半です。また、その文化が生活の中に根付いているので、当たり前のことかもしれませんが日本人ではなく、ベトナム人、中国人ということを認識しています。一方在日コリアン3、4世の子どもたちは、日本籍を持つ子どもが多いため、ベトナムや中国の子どものように明確に自分が韓国・朝鮮人と言い切れる子どもは少なくなっています。その中でコリアンの子どもたちが、どういった姿を見せてくれるのかと思っていたのですが、一緒に活動するとベトナムや中国の子どもたちに刺激されて、コリアンの子どもたちも、お父さんやお母さんに一生懸命自分たちのルーツについて聞いてきたりあえて民族名を強調して「韓国名はこんなんやねん」と言っている姿が見られ、非常におもしろい関係が生まれました。
日本生まれと家族呼び寄せで来た子どもたち
トッカビに関わっている子どもたちは、日本で生まれたか小さいときに日本に来た子どもたちがほとんどなので、コミュニケーションする上で言葉の問題はありません。しかし最近では、母国でおじいさんやおばあさんに育てられて、ある程度の年齢になったので日本に呼び寄せられた子や、お母さんの結婚により来日した子どもたちがいます。その子たちに対して、同じルーツの子どもたちが、からかったり日本語が分かっていないことに対して茶化したりする場面が見られます。
日本語指導が必要な子どもはこれからどんどん増えてくると思いますが、高校進学に関して深刻なデータがあります。八尾市内の中学校から高校への進学率を見ると、2002年度、中国人生徒は81%が高校に進学しています。ところが、ベトナム人生徒は40%しかいません。中国人生徒が比較的高いのは、中国が漢字圏なので日本語を覚えるのが比較的早く日本語としては分からなくても、漢字を見て大体の意味をつかむことができる事が要因として考えられています。ところが、ベトナムの生徒は漢字ひらがなになじみがないので、マスターするのは非常に厳しいのです。また、学年の途中、特に小学校高学年や中学生になってからきた子どもは、母国で教科をしっかり学んできたこともあり、学習能力は高いということがあります。逆に日本で生まれ育った子であっても、家庭では母語、学校では日本語という環境の中で、どちらも中途半端になってしまっている子どもの場合は、学習のための言語が身に付かず、学年が上がるにつれて成績が下がるといったことも課題としてあるのです。
日本語習得に関していえば、学校における日本語指導のあり方にも問題があるかもしれませんが、例えば、もう少し日本語を勉強する必要があり、本人も希望すれば、中学へ進まずもう一度6年生ができるとか、中学3年生ができるというように、日本の学校教育制度がもっと柔軟になれば、子どもたちにとってもっと良い結果がでるのではないかと思います。
異文化の子どもたちを消さない社会を
今の日本で、子どもたちに自分のルーツをポジティブに捉えて成長して欲しいと願うのは残念ながら難しいと感じます。なぜなら、自分の母語や豊かな文化を出しづらい環境があるからです。子どもたちは私たちの知らないところで、自分のルーツに関わって、いろんなことを感じ取り、いろんな経験をしていると思います。その経験や思いをどこでも自由に出せる雰囲気ではないということも分かっています。そのことが、日本語が出来ない親を恥ずかしいと思ったり、時には人前で話しかけないでほしいと、親にとってはとても悲しい言葉をぶつけてしまうことにつながります。そういった経験が多くなれば、多くなるほど豊かな文化は打ち消され、否定につながってしまうのです。そうなると、日本語のコミュニケーションに何の問題もなくなった子どもたちを見ただけでは、外国にルーツがあることが全然分からなくなってしまいます。これは在日コリアンがたどった道と同じです。そう思うと、八尾市は大阪府内でも在住外国人の比率が高く、すでに異文化があふれる町のはずですが、現実はそうなっていないと感じます。異文化の子どもたちを消さない社会にしていかなければならないと思います。
真の多民族・多文化共生社会になるには
最後にこの社会が本当にいろんな異文化を受け入れるような環境になってきているのかを改めて考えてみたいと思います。福岡教育大学の金泰泳(キム
テヨン)さんが、1999年に大阪府内のある市立中学校3校の全学生に対して「日本の若い世代の異民族観」を調査したものがあります。1967年に先行事例があり、意識の変化を見るためにその研究に基づいて同じような調査をされています。その中で、異民族に対する自分との社会的距離を調査したものがあります。これは、イギリス人、インド人、フィリピン人韓国・朝鮮人等、相手の国、民族別に「日本にいっしょに住むこと」「親友になること」「となりの家に住むこと」「いっしょに旅行すること」「親族が結婚すること」という項目について順番に賛成か反対かを答えるというものです。これを見ると相手の国が欧米系の場合は「親族が結婚すること」という最後の設問まで、わずかでも賛成が反対より多くなっています。しかしアフリカ系、アジア系になると「親族が結婚すること」の設問になって、反対が賛成を上回ってしまいます。1967年の先行事例でも同じ結果が出ているようです。30数年が経過しているのですがこの結果をどのように考えるかです。韓国に対しては韓流ブームの影響で少し印象が変化しているかもしれません。また、1970年代に比べて、共生ということについては学校も地域も行政も否定できない時代になっています。しかし、アジアに対しては、様々な社会的なとらえ方が影響して、このような調査結果になっているのではないでしょうか。この結果を見たときに、外国ルーツの子どもたちが豊かなルーツを残してこの社会で生きていくにはまだ難しいのではないかと感じてしまいます。例えばベトナムの子どもたちは、小学校の間は民族名で学校に通っています。ところが、中学生になると突然日本名の名札をつけている子が何人もいます。多文化・多民族共生と謳われるようになって久しいですが、子どもたちが自分の豊かな文化をそのまま背負って生きていける社会にするためにはまだまだ課題があると思います。
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