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朴 斗鎮(パク・トウヂン)さん
| プロフィール
1941年大阪市生まれ。1966年朝鮮大学校政治経済学部卒業後、朝鮮問題研究所書院として、在籍後、1968年より朝鮮大学校政治経済学部教員。その後、(株)ソフトバンクを経て、経営コンサルタントとなり、現在、統一日報社顧問兼論説主幹、デイリーNK顧問、脱北帰国者支援機構理事。著書に、「北朝鮮 その世襲的個人崇拝思想−キム・イルソンチュチェ思想の歴史と真実」 |
(脱北帰国者支援機構 理事)
「脱北帰国者支援運動と私」
2005年11月25日
第3回 多民族共生人権啓発セミナー |
朴斗鎭です。私は大阪の桃谷に生まれ20歳まで生野区で生活していました。生野小学校、生野中学校、生野高校に通い、生野区から離れたことがないというそんな青年時代を過ごしました。現在は、1959年12月からの北朝鮮帰還事業で、北朝鮮に渡った元在日朝鮮人や日本人配偶者が、再び日本に入国する「脱北帰国者」の定着支援を行っています。この支援のために坂中英徳さん(元入国管理局長)を代表とし、河炳俊さん(近江渡来人倶楽部代表)らと2005年5月23日に立ち上げました。東京に事務所がありますが、やっと体制が整ってきたという段階です。
●脱北帰国者の現状
脱北帰国者支援機構の立ち上げから、この6ヶ月の間に様々な活動をしてきました。北朝鮮へ帰国し、日本に戻ってきた「脱北帰国者」は、80名から100名と言われています。私は若いころ、朝鮮総連で活動をしていましたが、北朝鮮へ帰国した人がもう1度日本に戻ってくるということは想像すらしていませんでした。
脱北帰国者の現状は、ほとんどが生活保護を受ける厳しい状況にあります。帰国者に対する支援方法は、韓国と日本では違いがあります。韓国には受入制度があって、定着金が出ます。仕事も家もあっせんしてくれますが、日本には制度的保障がないのです。言葉や習慣は自分で習得しなければならないので、日本に脱北してくる人は大変苦労します。ならば、まず民間の我々が始めなければ何も動かないということで活動しています。
彼らは、まず「法的地位」が安定していません。日本の配偶者から生まれた人たちは、日本の国籍法が父母両系主義なので自動的に日本国籍を取得できますが、元在日コリアンとその子供たちは国籍で悩んでおり、「無国籍」と表示されている人もいます。「無国籍」と外登証に書かれると就職する場合、大きな困難にぶち当たります。
また、日本国籍を取得したとしても、学歴を書こうとすると日本で認められた学歴でないため、北朝鮮の大学を卒業していても「無学」扱いになります。
まず解決しなければならないのは、法的地位をどう確保するかということですが、坂中さんが、入管のトップとして仕事をされておられたので、現在日本の関係当局と協議を続けています。
しかし、何よりも苦しいのは1人で来ている人には「孤独」という問題があります。日本に脱出してきたものの親戚は面倒をみたがりません。3度の食事はできたとしても、人間の関係が成立しないのです。同じ脱北帰国者同士が集まって会話をするだけでは「孤独」から開放されません。ある脱北帰国者の身体の調子が良くないというので、私が病院に連れていったのですが、病院の先生は、病状よりも心の不安が大きいと言いました。
孤独の問題は深刻ですが、その問題の解決は、個別的対応ではどうにもなりません。そういう意味においても制度的確立が求められます。
●帰国運動と私
北朝鮮帰還運動は先ほども申し上げましたが1959年の12月から始まりました。私が高校3年の時です。当時は在日韓国・朝鮮人に対する差別がひどく、またほとんどの家庭が貧困にあえいでいました。だから「地上の楽園」で自分の能力に応じた豊かな生活ができるとする朝鮮総連と日本のマスコミの宣伝は、閉塞感からの解放をもたらしました。当時私は生野高校に通っていましたが、担任の先生に「弁護士になりたい」と将来の希望を言ったところ、「朝鮮人がなれるわけがない」と言われ、ショックを受けたのを記憶しています。
兄は工業高校を卒業し、鉄工所に就職しようとしましたが、朝鮮人はだめだと言われ、仕方なく日本人だという偽の履歴書を書いていたのを思い出します。その頃は、自分が朝鮮人であることを、いかに、どのように隠すか、それだけに神経を集中させていました。北朝鮮帰還運動は、それが後でとんでもない「まやかし」であることが判明しますが、当時の私を閉塞感から解放したのは確かです。それで、私は朝鮮総連の仕事にのめりこんでいきました。
●姉一家の帰国
朝鮮総連傘下の青年同盟の専従活動家として活動していた1961年に姉一家が帰国しました。大阪駅での別れは今も脳裏に焼きついています。帰国する際「帰って来いという手紙を書くまで帰ってくるな」と言われました。結局、それ以降、「帰ってこい」という文面は手紙の中に一切書かれていませんでした。
後日、1980年代に妹が北朝鮮を訪問したのですが、その状況を聞くと、帰国した直後は家も自分たちで作り、1980年代後半まで電気のつかない共同トイレを使っていたというありさまでした。姉の夫の甥っ子たちは頭が良く、文学小説を書いていましたが、日本の情景を描くと全てカットされるという状況だったそうです。
当時、品物を送るときには約束事があり、「ケイコを帰国させろ」と書かれていると、「時計を送れ」という暗号でした。家族はセイコー製の時計を相当送ったのですが、後日妹が姉を訪問したときに「時計を相当送ったけどどこにあるの?」と尋ねると「お腹に入った」と答えたと言います。すなわち食料と交換する、生活費にあてたという事だったのです。
私自身は朝鮮総連に入って、北朝鮮へ送る側の運動もしていたわけで、「被害者」でもあり「加害者」でもあるという複雑な立場でした。1972年に金日成還暦祝いの時に、朝鮮大学から200名の学生を北朝鮮に送れとの指示があり、学生を説得して帰国させました。今考えると非常に胸が痛みます。しかしその時は、それが正しいと思っていましたが、帰国した彼らからは、「先生、ありがとうございました」という手紙は一通もありませんでした。
●黄長Yさんとの出会い、総連活動の総括
1975年、自分がやってきたことに対する疑念もあり、責任を取ると言う意味で朝鮮大学教員を辞めました。今までやってきたことが正しかったのか、正しくなかったのか、自分で自分を総括するしかありませんでした。
そういった自分の中の点検は1990年代に入っても続いていました。決定的な「転換点」は、黄長Y(ファン・ジャンヨプ)さんの韓国への亡命事件でした。それまで断片的に帰国者から伝え聞いていた北朝鮮内部の問題が、上層部の内部事情まで明らかとなり、やっと「北朝鮮の社会制度が間違っている」と確信を得ました。信じていたものが崩れ去り新しいものに変えていくまで20年かかりました。そして、自己総括する意味で「北朝鮮その世襲的個人崇拝思想」という本を出版しました。
●北朝鮮の現状
北朝鮮の社会制度は「社会主義」ではありません。金日成・金正日親子の個人独裁制度であり、現在は金正日の軍事封建的個人独裁です。北朝鮮にこの制度が存続する限り、北朝鮮帰国者を人質に取られている在日韓国・朝鮮人は、絶えずこの独裁の影響を受けます。
また日本との友好関係もうまくいかないでしょう。例えば日本人拉致の問題ですが、拉致を謝罪したにもかかわらず、拉致した人たちを日本に返していません。この問題の全容が世界に暴露されることを恐れているからです。北朝鮮が金正日体制を続けている限り、在日にとっても日本の国民にとっても平穏な生活は望めないと思います。私が思うには、金正日政権が存在する限り、日朝国交正常化も難しいのではないかと思います。
核の問題も金正日体制と直接結びついた問題です。核を脅迫材料として、韓国、アメリカなど世界各国から援助をとりよせ、1995年以降の苦しい状況を乗り切ったのですが、核があるから大国であるアメリカとも今対等に話をしているということを金正日が一番わかっているのではないのでしょうか。金正日政権が存在する限り、拉致も核も解決しないと思います。
●在日社会の傾向
近年の在日社会の動きの中にも、北朝鮮との融和をしなければならないという動きがあり、在日本大韓民国民団にも朝鮮総連と和合しなければならないという考えが出ています。ところが、いざ脱北者問題となると、朝鮮総連はこの人たちを敵視し、在日同胞も今のところ積極的ではありません。和合、民族共助を叫ぶ人たちも同じ民族である脱北者の問題を遠ざけるのです。
同胞たちの中にも、人権を掲げる団体は色々と存在します。しかし、彼らに脱北者の話をすると反応が鈍いのです。脱北者に援助をしようとする団体は、今のところ1つもありません。朝鮮総連の人権協会も自分たちの組織防衛の人権はあるけれど、脱北者の人権は認めません。
ある人たちは「帰国したのは、自分の意思でしたのだから自己責任だ」と言います。果たしてそうなのでしょうか。日本中が「地上の楽園」を合唱をして帰国させた人たちに「自己責任」といえるのでしょうか。そうであれば「詐欺罪」と言うのはなくなると思います。
脱北帰国者問題は、在日社会の問題であるけれど、共生している日本社会の問題でもあります。結論としては、脱北帰国者支援運動は「日本社会に新たに提起された人権擁護運動」として、進めていかなければならないのではないかと思います。
現在の北朝鮮体制が今後続くのであれば人類の歴史は逆戻りするということになります。それはありえないでしょう。脱北帰国者の受入体制を今から準備することは在日社会にとっても、日本社会にとってもきわめて重要なことと思います。
●「3度」の人生、そして今後…
朝鮮人を隠していた時代、朝鮮人と胸を張り気張っていた時代、朝鮮人もまず人間として立派でなければならないと努力している時代、私はこうした3度の人生を歩んでいます。
私の子どもは本名のままです。自分の経験上、「隠す」ということは、人格形成上最もよくない影響を与えると思っているからです。何かにおびえながら生きると言うことほど惨めのものはありません。こうした生活からは大きな人物は生まれないでしょう。
私が高校のとき、現在のように人権団体が多くあったわけでもなく、将来の問題を適切に相談できるところはありませんでした。また朝鮮人ということを隠しているのですから相談にもいけないのです。自分のアイデンティティを確立しないと何事も解決しないと言うことを身をもって体験しました。
自分を隠す人は、脱北者の人の中にももちろんいます。もちろん差別があるからです。どうなるかというと、自分をうまく表現することができず小さくなってしまったり、日本社会に大胆に入っていけないことになります。
脱北帰国者問題は、いま新たな在日問題として提起されています。この問題にどのような態度を示すかは、個人や団体の人権水準を示すでしょう。新渡日外国人(ニューカマー)の人たちを含め、人間としての平等な権利の獲得には違いがあってはならないと思います。多民族共生人権教育センターのように、在日コリアンだけではなく、外国人に対するあらゆる差別をなくしていくという取組みが、脱北帰国者問題の解決にもつながっていくものと思います。
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