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(第1回)
J・A・T・Dにしゃんた さん
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プロフィール
1969年スリランカ生まれ。1987年に来日し立命館大学、名城大学大学院を経て、現在龍谷大学非常勤講師。また、NPO法人「多文化共生センター」理事。「株式会社グローバルコンテンツ」の代表取締役でもある。「外国人」とくくられるのが嫌で、カタカナでなくひらがなで名前を登録。京都市内在住。
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(多文化共生センター理事)
今号より、各地で多民族共生の活動にとりくまれている在日外国人の方々へのインタビューをシリーズ化します。初回はスリランカ出身で、留学生新聞の発行や在日外国人の相談活動などに携わり、日本社会の多民族共生のあり方に鋭い提言を行ってきた、にしゃんたさんにお話を伺いました。
にしゃんたさんが設立した「株式会社グローバルコンテンツ」は、2001年6月から、日本で暮らす外国人に必要な生活情報を満載した多言語ポータルサイト「@nippon」(http://atnippon.jp/ez KDDI系のネット接続EZWebで見ることができる)の提供を始めたばかりです。(新聞記事参照)
そのにしゃんたさんに、多民族共生とほど遠い日本の現状と課題、ご自身の夢などを語っていただきました。
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Q:来日してからのことをお聞かせ願えますか。
16歳の時にボーイスカウトで日本に来る機会があり、子ども心に新鮮で、また来たいと思ったんです。高校卒業後ボストンバック一つを持って来日しました。日本語学校を経て、立命館大学に入学し、その頃から留学生会の活動を始めます。1993年に大学を総代で卒業した後、名古屋の名城大学の大学院を修了するんですが、また京都に戻って、龍谷大学の大学院に入学しました。それから、自分を生かしていく場を見つける中で、様々な活動に参加しました。
Q:留学生としての活動に参加することで、何が見えてきたのでしょうか。
留学生会に参加したのは、よりどころを見つけようとしていたからです。授業に出ても言葉の面で厳しいし、自分を表現できる場が少なかった。国際交流の会にも行ったけど、すぐ飽きてしまいました。自分の生かし方の一つとして、留学生会の活動をしたり、「関西留学生新聞」を作ったりしました。
一方、京都府の「名誉友好大使」という肩書きをもらい、知事や国連大使に会ったり、華やかなところに行けたんですが、これは「まやかし」「つくられたもの」のような気がしました。大学院の指導教官に、京都の中で在日韓国・朝鮮人の人が多く住む地区に連れて行ってもらったり、留学生たちの声を聞く中で、矛盾だらけの「国際交流」に気がついたのです。華やかで薄っぺらな「国際交流」より、「多文化共生」が大事だと思いました。個人的には、日本に住み続けたいという気持ちが沸いてきただけに、不安に思っていました。
Q:卒業後も日本にいたい、と思われるようになったのはなぜでしょう。
博士課程で「スリランカにおける日本的経営の移転問題」という論文を書き、スリランカの日系企業から、(現地の)工場長や社長にならないかと誘われたのですが、気が乗りませんでした。ふつう人間って、努力するのは名声や金銭のためだったりしますね。それならスリランカに帰ったほうが簡単に手に入る。でも、細々とでも日本にいたいと思いました。自分ができることを見つけていくなかで多文化共生センターの活動に出会ったし、その延長で「グローバル・コンテンツ」をつくることにもなりました。
Q:就職活動の経験から、日本の企業に何を望みますか?
学部のころ、就職活動で国際化を唱う企業や団体に行ってみたんですが、対象外としてはねられました。日本で就職したくても、かなえられずに帰国する留学生が多いですね。留学生を募集する企業は、ほんの一握りです。「2名採用」と募集があれば、そこに四、五百人も応募するような状況です。留学生のニーズに全然応えていない。また留学生が4年や6年日本にいたところで、日本人並に日本語をしゃべったり、一般常識のテストで点をとるのは無理です。同じ基準ではパスしません。留学生を採るための別の基準があっていいんじゃないでしょうか。会社にとってのメリット、テストでは見えてこない留学生の「良さ」が、いずれ出てくると思います。
Q:日本の法律や制度に関して、感じることは?
去年ぐらいから、入国管理局が大学に留学生の管理を委託するようになりました。どこでどんなバイトをしているか、大学に報告して、大学がまとめて入国管理局に報告するのです(※1)。本来、大学は自由を保障する機関のはず。「グローバル」とか「世界にはばたけ」と言ってる大学が、留学生に精神的な屈辱を与えていいものでしょうか。でも留学生は声をあげられません。組織をくめないし、心細い思いをしています。
また、留学生は常にしっかり勉強しないと次のビザ更新ができないので、日本の学生のような自由がありません。一年ごとのビザ更新のため、すべてが1年スパンです。「5年先のビジョン」がたてにくいですよね。更新のたびに銀行の通帳のコピーや保証人の書類が必要になる。企業は、書類を提出するといった作業が面倒だから、外国人を雇いたがらないのでしょう。
Q:留学生が日本で活躍の場を与えられないのは、残念なことですね。
留学生は、日本に来るからには、好きで来ているんですね。その延長線上で、卒業後もいさせてくれていいのではと思います。アメリカの大学では1年間位「インターンシップ」制度といって、学生が企業で働いてみて、気に入られたらその後就職できたりする制度があります。日本にはそうした制度は非常に少ない。だから日本の大学を出ても、制度の整ったアメリカなどに移る人がいます。
Q:生活面での住みにくさを感じたことは?
例えば、入居の問題があります。僕はある時、大学の生協でいい物件を見つけました。担当者が目の前で大家に電話したんですが、留学生とわかったとたんに断られました。担当者も抗議しない。大学がバイトを紹介する際も、堂々と「留学生不可」とあったりしますね。ほかのバイト紹介所でも同じ。アメリカではこんなことはないはずです。
もう一つ気になるのは、例えば「外国人風の人に気をつけましょう」という警察のポスターです。「ああ、僕は加害者なのか」と思う。マスコミも「外国人風の男の犯行」とか書き、「外国人」という言葉をいいイメージで使っていません。これはマスコミに大いに責任があると思います。上からの情報で、普通の人は認識をつくっていく。マスコミはマジョリティに合わせたつくり方をしていますね。
Q:にしゃんたさんが、今のお仕事(多言語での情報発信)を始められる背景には、どのような経験がおありなのでしょう。
今まで日本社会では、日本語以外の言語はなくて当たり前でしたよね。スリランカでは違います。今はチャンネルも多くなりましたが、昔は国営放送だけでした。それでも多言語だったのです。6時からはタミル語のニュース、8時からはシンハラ語、9時からは英語で、同じ内容のニュースが聞けた。学校でも、自分の好きな言語で勉強できる。僕はシンハラ語で勉強したけど、タミル語の子らも、同じ学校の中でタミル語のクラスにいる。英語もそうです。多言語が当たり前のところで僕は育ちました。いろんなお祭があって、仏教のお祭の時にお菓子を配り、ほかの人たちのお祭の時にお返しをもらったり。スリランカには民族紛争がありますが、あれは一部でやっているだけで、僕の育った村では、今でも異なった民族同士が仲良しです。
Q:スリランカで当たり前だったように、日本でも多言語で情報を受け取れるようにしよう、ということですね。
そうです。1990年代に日系ブラジル人やペルー人など、日本語がわからない人たちが増えました。フィリピンの人も多い。その人たちに自分の母語で情報を提供するためには、携帯電話は優れた媒体です。ポケットから出してすぐに見られますし、携帯は地震などの非常時にも威力を発揮します。
「@ニッポン」は本当はauの公式サイトになる予定だったんですが、「サイトがあることによって犯罪が増えるとか、マイナス面も多いだろう」と言われ、実現しませんでした。今のところauだけですが、そのうちJフォンやiモードで情報を見られるようになります。
Q:この仕事を含めて、にしゃんたさんがこれから日本でやっていかれたいことは?
普通に家庭を持って、普通に日本で生活したいです。それから僕は日本語ができますが、ニューカマーの人はほとんど日本語がしゃべれず、かれらの声は日本社会に伝わっていません。みんなの声を伝えていきたい。日本で「国際」という言葉は流行っているが、現場現場で困っていることは伝わっていないんです。行政が「してやっている」、外国人は「していただいています」というのではなく、一緒に作っていこう、という対等な関係になれないでしょうか。マジョリティ本位で自己満足な「国際交流」の問題点を言っていきたい。たとえば公務員の採用に国籍条項がありながら「国際化」を叫ぶ、というのは何なのでしょう。おかしいことはおかしいと、はっきり言える人でいたいと思います。
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