
「国籍」の議論を始めよう
「日本人」の不可思議?!
最近、ペルーのフジモリ前大統領が日本国籍を持っていたことが明らかになり、外国の大統領を務めた人が「日本人」だったことが話題になった。フジモリ氏は1938年7月28日、リマ生まれで、生まれたとき父親が日本大使館に出生届けをしていたと言う。
日本の国籍法は「父母両系血統主義」(当時は「父系血統主義」)を採用しており、父または母(当時は父)が日本人ならば、日本は勿論、何処の国で生まれても日本国籍を持つことができる。つまり、日本人の「血統」さえ受け継いでいれば、生まれた場所に関係なく日本国籍が与えられる。
一方、ペルーの国籍法は、父母の国籍に関わりなく、ペルー領土で生まれた子どもはペルー国籍を持つことができる「生地主義」を採用しているので、フジモリ氏は出生と同時にペルー国籍も持つことになった。つまり、ペルーと日本の二重国籍だったのだ。
そのフジモリ氏が、日本に滞在中に大統領職を辞し、ペルー政府から日本政府に身柄の引き渡しを求められることになったが、日本政府は「日本人」であることを盾に、それを拒否する「不可思議」な事態が起った。
日本の不可思議?!
他方、在日韓国・朝鮮人は日本生まれの二世・三世が多数を占めている。ところが、今なお「外国人」で、参政権もなく、外国人登録証を常時携帯しなければならない立場だ。一度も日本で過ごしたことのないフジモリ氏が「日本人」として保護され、日本生まれで韓国・朝鮮で暮らしたことのない在日韓国・朝鮮人が「外国人」として差別される。理解に苦しむ話だ。また、現在、日本の国会では永住外国人(ほとんどが在日韓国・朝鮮人)に選挙権を与えるための法案を審議しようとしているが、一部保守系議員らは「外国人に参政権を与えることは亡国」と反対している。しかし、その人たちは、フジモリ氏のペルー大統領就任を日本人の「名誉」と言い、自慢している。主張を一貫させるなら、「日本人のペルー大統領就任はペルーの亡国」と反対するのが筋のような気がするが、これも理解に苦しむ話だ。
在日韓国・朝鮮人三世らを差別したり、「日本人」が外国で活躍することは「名誉」で、「外国人」が日本で活躍しようとすれば「亡国」と排除したりするのでは、国際社会を納得させることはできないのではないか。
「参政権から国籍」
外国人の選挙権に反対する人たちが、外国人に選挙権を与えないための対案として示したのが、「特別永住者には日本国籍を届け出によって付与する」という案だ。特別永住者は主に歴史的事情のある在日韓国・朝鮮人が持つ在留資格で、この案には彼/彼女には届け出だけで日本国籍を取得できるようにし、それによって選挙権だけでなく完全な参政権を与える代わりに、外国人にはあくまで選挙権すら与えないとする意図がある。外国人の選挙権を拒否するためとは言え、保守的な人たちから、大胆にも届出だけで日本国籍を付与する案が突如提案されたのだ。
在日社会の狼狽
在日社会には、国籍問題は参政権問題の後の課題としていた感があり、保守系議員からの突然の提起に狼狽は隠せない。「民団」は一応「歓迎」しているらしいが、他の民族団体は明快なコメントを出せないでいる。従来は「同化を強要するもの」と機械的な反対声明を出せば良かったが、現在はそうしたコメントでは在日社会も日本人社会も納得させられない。社会は変化しているのだ。「歓迎」も「反対」もできず、ただ黙っているところに、民族団体の苦渋が現れていると言える。そうした状況の中、民族団体に属さない人たちの中から、徐々に「日本国籍問題を積極的に議論すべき」との声が起こってきている。
「国籍」の議論が必要
これまで、在日韓国・朝鮮人が「日本国籍は同化」、「同化は民族の裏切り」として位置づけてきこと、そして、日本の保守勢力が「純血日本」を守るため、などの理由から、日本の「国籍」のあり方については全く語られてこなかった。そのため、フジモリ氏が「救済」され、在日が外国人として排除される「ねじれた」事態が起こっている。更に21世紀の早い時期に、日本に千万人単位の外国人労働者が移民としてやってくる状況を抱えており、今日の日本社会の過酷なまでの「外国人」差別は最悪の場合、民族紛争や「暴動」の原因になりかねないことに注意を払うべきだ。そうした事態を避けるためにも、日本の「国籍」のあり方についての議論を進める必要があるのではないか。「特別永住者に日本国籍を届け出で付与する」案を契機に、国籍問題を広く議論し、「日本人」と「外国人」がゲストでもない、ホストでもない対等の立場で「共生」の試みを始めなければならない。
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