
「外国人参政権」への懸念
「参政権」から「国籍」へのすりかえ
昨年来の「永住外国人地方選挙権等付与法案」の審議は、国会の内外を問わず賛否両論の立場から論じられ人々の注目をあびてきた。その過程では、賛成派の中でも対象を「永住資格者」に限るとか、あるいは「朝鮮籍」者は排除するなど規制枠をどれだけ設けるのかが議論の中心であった。わたしの周りでも、今まで「外国人参政権」について無関心でいた人たちが、関心を持ちその動向を気にかけだしたことは、とりあえずいいことだと歓迎している。しかし今、同法案に関連して、与党三党による「国籍等に関するプロジェクトチーム」が検討した「特別永住者の日本国籍取得緩和策」に、注目はより集まっている。
そもそも戦前には、日本に住んでいる朝鮮人や台湾人に国政、地方を問わず選挙権、被選挙権ともに認められていた。ところが戦後その権利は一方的に奪われることになる。その後も参政権に関しての要求の声は続くのであるが、1970年代頃より再び盛んになっていき、マスコミで取り上げられたり裁判に訴える「在日」の人々の動きがあった。それを受け1995年2月には「憲法は禁ぜず」の最高裁判決が出されている。また、この間、1993年の岸和田市を皮切りに多くの自治体議会でも地方参政権を認める判断が示されてきた。しかし、この参政権付与に関して「在日コリアン」側では民団と総連の意見が賛成、反対で真っ向から対立し、日本社会の反対派に「在日のコンセンサスが得られていない」と利用される結果となってしまった。それでも今国会での採択に期待は高まっていた。ところが、議論が「日本国籍取得緩和策」という思わぬ方向に進みだしたので「また裏切られた。」という感は否めない。
またもや届かぬ声
現時点では参政権付与が先か、国籍取得要件緩和が先かの問題になってしまっているが、これらは明らかに次元の異なる法案である。それをこの時期に国籍取得要件緩和法案を優先させようというのは、「日本国籍を取り易くしてやるから、選挙権は辛抱しなさい。」と言っていることに外ならない。「参政権付与」も「国籍取得要件緩和」も同時進行が最良であると思うが、なんとか参政権を認めさせたくないという動きが「国籍取得要件緩和」法案優先にすりかえられてしまった感がある。現行の制度では「帰化」という用語を、イメージ良く「国籍取得」という言葉で言い換えているのも意図的で不愉快な思いがする。さらに言えば、国籍の問題も1952年のサンフランシスコ講和条約の際の日本政府の一方的な国籍処理問題を、ずっと棚上げしておきながら、ここにきて参政権付与要求の声を無視できなくなり、代替案として「国籍取得要件緩和」を言い出したといわれても言い逃れはできないはずだ。おまけに民族名での帰化の幅も広げられたと報道されている。しかし、これら甘い言葉の裏には、日本に住む外国人は権利が欲しければ日本人(国籍上)になりなさいという脅しがある。これでもなお且つ「帰化」をしない外国人は、日本社会の中でますます少数者となり、制度的にも精神的にも孤立してしまうのではないだろうか。また、国籍条項撤廃や制度的不平等の行政施策改善等に取り組んできた人々の気が殺がれてしまうのではと懸念は尽きない。
若い世代への期待
日本人、外国人を問わず、最近の若い世代の意識は社会の中で見えにくい傾向だが、1999年から2000年にかけての新聞各紙が行った永住外国人への地方選挙権付与に関しての世論調査によると「賛成」が「反対」を大きく上回っている。特に20代、30代の世代の人は約80%が賛成派だ。もちろん、反対意見を唱える人の意見も承知している。少しは希望をもって若い世代の意識に期待したい。これは日本人だけではなく「在日」においてもその柔軟さは示されている。兵庫県伊丹市在住の在日コリアンの意識調査によると、世代が若くなるにつれ本名を名乗って生活している人が増えているという結果があるそうだ。
コリアンだけを見ても年間1万人の日本国籍取得、そして国際結婚が増えダブルの存在が激増している現状では国籍と民族が一致しないことは当然である。そしてまた、ひとつの家庭の中で多様な国籍があることも稀ではなくなる。もっとも肝要なことは、どの民族でもいずれの国籍をもつ人でも人権が保障されることだろう。その人権の中には言わずもがな選挙権も被選挙権も含まれるはずである。
多民族共生人権教育センター理事・李美葉
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