多民族共生人権教育センター
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在日外国籍の就職差別をめぐる諸問題

 近代国民国家のキー・ワーズは主権と人権である。日本国憲法も例外でなく、旧憲法の天皇統治権の総覧者としての地位が否定され、現憲法では象徴天皇に後退し、国民主権が明記されている。そこに成立した国家は、主権を行使して、あらゆる封建身分制を克服して、個人の基本的人権を保障しなければならない。憲法は生命・自由・幸福の追求権を含む精神的内心と表現の自由、経済的自由、人身の自由、社会権等広範な人権条項を認め、しかも、法の下の平等(第14条)すらかませて、統治機構の国会、内閣の立法機関と執行機関に主権行使を委託している。

 この国民主権の民主主義憲法体制にすっぽり抜けた在日社会層が旧植民地出身者であり、新憲法制定以来の人権問題であった。憲法成立過程で、旧国家主権側は、ご丁寧にも、憲法発布の前日、旧勅令で急いで旧植民地主義者を一方的に排除する「外国人登録令」が出され、「外国人と見な」されるようになった。敗戦の12月国会もすでに選挙権を停止していた。今の地方参政権付与(最高裁も立法によって可能と)にアレルギー反応を示し、日本は亡国のきざしすら見えると感情的拒否感情を持つ自民党の偏見も(見返りに国籍取得簡易化云々も)その根っこは戦後処理の誤ちから始まる。あきれて言葉が出ないのは戦前の皇国史観に逆行する教科書が出るのは、民族差別を増長する以外の何物でもない。
 ポツダム宣言受託で、連合軍の占領側が一番恐れたのは、旧植民地出身者を含めた外国人への差別であった。従って、初期の草案には第16条で外国人は法の平等な保護を受ける条項があったのに、国民は法の下平等にと第14条に「矮小化」された(田中宏「在日外国人」58頁)。そして、現実には「国民」と「外国人」という二分法の差別が「国民国家」論を盾に、今でも「当然の論理」「公権力行使」の日本的二刀流で地方公務員の不採用か、門戸一部限定開放の理屈になっている。

 これから筆者の言いたい本論に入るが、新憲法成立直後、生活権に関わる二つの法律が立法化された。1947年4月7日の労働基準法と、1947年11月30日の職安法である。それぞれの第三条の主語が国民でなく「何人も」となっており、国籍による差別すら禁止されて、改正はあっても、今日の実定法である。民闘連の市民運動の中心的担い手の一人だった故梁泰昊氏は「道なきところに道をつくる」と日立就職差別勝訴を意義づけ、就職差別に向き合う市民運動を語っているが、国と企業の偏見との闘いであり、当時の上記二法から見て、勝つべくして勝ったと言える。ましてや、世界人権宣言からの国連の諸条約(国際人権規約、難民条約、人種差別撤廃条約等)を批准し、国側も条約の遵守を憲法で約束した手前、多くの社会保障制度の国籍による差別条項は外されている。
 今ある壁は心理的「慣習」「偏見」のようなものとの闘いだとも考えられる。例えば、優越と排外意識をかかえる「疑似種族」(E・エリクソン)と言える石原都知事の「三国人」発言と振舞いとそれを支持する力との闘いである。フランスですら、革命以来、国民統合の理念の下、平等とは裏腹に、差別を解消できなかったと告白し、昨年、雇用大臣は一つひとつの差別と向き合わない限り、平等からは遠いと語った。

 偏見と差別が車の両輪のように働く力とどう向き合うかは、ある意味でモラルに関わる。1970年代、韓国籍のまま司法修習生となった金敬得弁護士が私の牧師現役時代の教会の若者に語った言葉を今も忘れない。「差別される側が、差別する側よりも道義的に優位に立っている」。これは自明の理でも、開き直りでもない。部落解放運動のシンボル荊冠の旗(キリストの十字架)のようなものこそ歴史の不条理(差別)を告発し、不正義を糾し、創造的世界を指し示す力となり得ることを語ったと、私は今も解釈している。不条理との闘いによって誰もが人間になれると被抑圧者の教育学者P・フレイレを同時に思い出す。彼は被抑圧者も「優位」に立つ抑圧者にもなり得ると警告する。どんな反差別運動もモラルを失い、逆説上の優位をゆすりの暴力にしては、闘いの名目を失う。身近に起こり得るエセ反差別運動は逆に差別を助長すると自戒しながら、誰もが人間となる流れを創りたいと願う。

多民族共生人権教育センター理事 李 仁夏

 

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