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教科書問題を考える
去る4月3日、文部科学省は来春から使用される教科書の検定合格を発表し、「新しい教科書をつくる会」(西尾幹二会長)が執筆した中学生用「新しい歴史教科書」(扶桑社=フジ・サンケイグループがバック)を採用した。137ヵ所という他社平均の5倍に相当する修正を加えてかろうじての合格とはいえ、ここ数年来、執拗に展開されている「自由主義史観」グループの右翼的国家主義的な思想が教育現場の中にもちこまれることになった。当然のこととはいえ、韓国は35項目、中国は8項目の修正を要求し、またまた教科書問題は国際問題化することとなった。来年のワールド・カップ日韓共同開催という友好ムードに水を指すことにもなり、1998年10月、金大中大統領の訪日と小渕総理との間に交わされた「21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップのための共同宣言」に反する行為がなされたわけである。
教科書問題の経過なり内容については、タイミングよく月刊誌『世界』6月号が特集をくんでいるので、紙数の関係もあり専門外の私がとやかくいうよりは掲載の諸論文にゆずるとして、西谷修、池明観、両氏の論文と現場教師座談会はぜひ一読願いたい。そして6月10日付けで「新しい歴史教科書」の市販本が出されているので、どんなことが書かれているか、みんなが買ってベストセラーにする必要はないが、立ち読みするなり回し読みするなりして中身はちゃんとのぞいておこう。私はまず、部落問題や人権についてどう書かれているかを調べてみた。続いて前の戦争の捉え方。日本のアジア侵略。歴史を支配者側だけではなく民衆の側からも。21世紀のこれから日本の取るべき道などの諸点を念頭において一読した。読むにつれて、なんじゃこれはとか、これは事実に反するとか、一方的なことを言うなとか、腹がたつやら馬鹿ばかしいやら、それなりに緊張して読ませてもらった。1871年(明治4年)には、解放令が出されたが、「これらの人々への社会的な差別はそののちも長く消えず、今日までさまざまな形で残っている」(教科書193ページ)とか全国水平社宣言や内閣同対審答申などにもふれており、部分的にはいいことも言ってるなと思わせるところも折衷的にあって、実に巧妙につくられているなと思った。
しかし全体の基調は、日本人は「世界に誇る民族」の強調であり、天皇神話をふんだんに取り入れ、また教育勅語を全文掲載して「近代日本人の人格の背景をなすものとなった」と書かれている。西郷隆盛と勝海舟の直談判を例にだし、日本を植民地化から守る為に「私」の利益を離れて、日本という「公」の立場に立つ歴史的な決断がなされたとか、太平洋戦争を(括弧)に大東亜戦争として、日本の戦争目的は「自存自衛とアジアを欧米の支配から解放し、そして、大東亜共栄圏を建設することである」とか、極東(東京)裁判は勝者が敗者を裁くものであり、公平ではなかったとか、全く半世紀前の軍国主義者、国家主義者の古いイデオロギーと天皇賛美の皇国史観まるだしである。何が新しい教科書か。
戦争と侵略の20世紀を清算し21世紀を平和と人権の世紀にすることに貢献し、前の戦争にたいして反省と補償のけじめをつけてアジアの一員として協調しあい、あわせて人権改革を断行して多民族・多文化共生の日本に生まれかわっていく。国際化グローバル化の進歩的な側面とアメリカ主義的、帝国主義的な危険な側面を区別し、これを見極めて、正しく対応していかなければならないこの出発の時に、こんな教科書を検定合格にした文部科学省の責任は重大である。と同時にこんな時代錯誤のイデオロギーが人々の心をとらえ再び力をもたせないためにはどうすればいいのか。そのためにも戦後50年間、私たちがあいまいにし、あるいはいいかげんにしてきた部分をこの際はっきりさせて、21世紀にかせられた人類的テーマと日本のとるべき方向について大きく意志統一をはかる必要がある。
最後に「新しい歴史教科書」の318〜319ページの「歴史を学んで」のところに注意をうながしたい。ここにこの教科書の本質が如実に出ている。「深い考えもなしに外国を基準にしたり、モデルに立てたりすることで、独立心を失ったり頼りない国民になるおそれが出てきた」「自分をもつことである。自分をしっかりもたないと」と叫んでいる。憲法や教育基本法をないがしろにして個の自立をおさえこみ、ひたすら追いつけ追い越せのかけ声のもと経済大国にのしあがって頭を打ち、国際金融戦争に敗北(マネー敗戦)した連中のつくりごとがきこえる。今になって、なにが「独立心」か。そして国除化・グローバル化の世界的な大波とアジア諸国の立ち上りの前におびえ、これからどうすればいいのか確かな方向を見出せない連中の不安の癒しに、日本の歴史の過去をもちだし、大和魂にすがっている哀れな姿である。
多民族共生人権教育センター理事 大賀 正行
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