多民族共生人権教育センター
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企業と人権問題

 企業と人権問題、「古くて新しい課題である」。現在の企業における人権・部落問題はどの様な位置付けにあるのか。その成果はどの様な所迄発展しているのか、それぞれの見方、考え方によって異なると思うが、嘗て、企業に身を置いて、懸命に取り組んできた者として冷静に状況を判断してみたい。人権問題について、大きくは二つの流れがある。

 一つは1975年の「部落地名総鑑」差別事件であり、人権の視点からその必要性を指摘され、多くの企業が人権・部落問題と取り組んできた。国や地方行政の施策や運動の成果で、一定の発展を見たが、「真に経営理念を決定する、重要課題になり得たか」を考えると、企業間格差が有り過ぎると言わざるを得ない。その理由は、1980年代我が世の春を謳歌した日本企業が、欧米諸国で醸し出した「人権差別事件・雇用差別事件その他数々の差別事件」を思い起こして見ると明らかである。経団連は、素早くCBCC=海外事業活動連絡協議会を組織して対応するも、それ自体が、黒人問題や他のマイノリティー問題を本質的に理解しようとしていない、日本企業の差別的、閉鎖的、非人間的な体質を指摘される結果となっている。個々の企業において、人権問題に取り組む姿勢の格差が有り、担当する人材やその職責を重要に評価して、企業自身の重要命題として取り組んでいるかどうかによって、その位置付けが違っている。まだ人権問題に無関心な企業も多い。

 二つ目の流れは、1990年代より企業倫理を巡る環境の変化である。連邦量刑ガイドラインが制定され、米国では、倫理やコンプライアンスが企業の主なリスク・マネジメントの一つになった。「模範倫理綱領」を策定し、人権・労働・環境に関する個別企業の取り組みは「組織のインテグリティ」(誠実さ)を図る重要な尺度となった。1997年にはCEP(経済優先順位研究所)が「SA8000=Social Accountability」を設定し、国連は世界的な企業の代表を前にして、人権・労働・環境の三つの分野において社会的責任を果たす様「グローバル・コンパクト」を提唱した。

 反面日本においては、1990年代に入るやバブル経済の崩壊で長期不況にあえぎ、日銀・大蔵贈収賄事件に迄発展する不詳事件が続発し、日本企業への不信感は増大した。往来の企業第一主義、利益中心主義に対する社会からの厳しい企業不信と批判に哂されている。成熟社会の往来と資本主義、自由主義の進展に伴う規制撤廃・緩和への対応に迫られ、今後、国際ルールや法令の遵守、社会正義・社会的公正への適応は重大な企業の責任となる。つまり新しい経営価値観が求められる所以である。旧来の効率性と競争性中心の経営から、人間性も社会性も重視する経営に価値転換する必要に迫られたのである。
 そこで経団連は、1998年CBCO=企業倫理担当役員の設置を謳い企業統治(コーポレート・ガバナンス)を提唱した。初めて産学協力して、企業の内外から不断の改善を進め、特に、経済・政治・社会のグローバリゼーションの時代に対応すべく、更に我が国企業の国際的信用を確立する為に経営倫理学会が設置され、BERC=経営倫理実践研究センターを設置しその普及に努めている。

 人権問題・人権尊重に関する企業の責任を追及するグローバルな動きは、一つの大きなうねりとなって押し寄せている。主要企業においては、外国人株主もその比率が高くなりつつあり、議決権を行使して人権基準を遵守させる動きも出てくることも予測される。今後益々、人権の分野で企業の社会的責任を追及される時代がやって来たのである。しかし、現在の日本企業の取り組みは今だ極めて不十分である。「企業行動憲章」や「従業員行動基準」の中にも、人権問題については、殆どふれていないのが現実である。
 企業が部落問題・人権問題に取り組む原点は、決して「部落地名総鑑」差別事件ではない。企業の持つ差別体質が原点であり、今だにすっきり目覚めることができない「その体質にある」ことを自覚すべきである。日本企業にとって人権問題・環境問題と真摯に取り組むことこそ、まさに、「啓かれた自己利益を享受する」ことになるのである。

多民族共生人権教育センター理事 岡崎慎一郎

 

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