|

「多民族共生は可能か」
去る3月26日の理事会で、筆者はわがNPOの多民族共生人権教育センターという、長い、いくつかの概念のつまった固有名詞を英語表記の頭文字につなげて短く表現する愛称の試案を頼まれた。何しろ「多民族」の「共生」を目的とする「教育センター」という風に、欲張りな名称であることは確かだ。そこで、今月号に1つの提案をするので会員総会でも検討してほしいと思い、ニュースの1項に掲載させてもらう。
このNPOのゴール「共生」の市民社会の構築である。英語表記では、最後に“For the Pro-Existence”をもってきたい。Co-Existence(共存)という単語があるが、これは静的な並存にしかならない。共生はもっと動的で、共に生きるという動詞から始まった。本来、共生は“the
Life Together”という英語訳もある。生命=生活を共にするという考え方である。しかし、筆者は“For the Pro-existence”という単語を取りたい。Proとは相手に「関わるために」、相手の「側に立って」というギリシャ語の前置詞である。普通の日常表現では“He
is a pro-Japanese(a pro-Korean)”となり、彼は日本人(韓国人)びいきだという意味で使われる。筆者の市民運動体験では、差別問題でけんか相手と好き合う関係を多く持っている。偏見と差別をお互いに乗り越えないと「共生」は建前か、いわゆる「お付き合い」(ある強制力に負けて)となってしまうようである。真の友情が生まれ、自らの実存と相手の実存が動的に結ばれる相関関係を目指す“PRO-EXISTENCEこそ、センターにふさわしいと思う。
多民族共生は、人権尊重から生まれる。19・20世紀の近代国家は戦争単位だった。スイスの神学者E・ブルンナーは「国民」の名で人間は何千倍の罪を犯した、と語った。戦争は偏見を植えつけられ、憎悪をむき出しに相手を抹殺する行為だった。21世紀はもう少し平和への波が生まれると思ったのに、冷戦構造が熱戦へと逆行している雲行きが見える。しかし、1948年の「世界人権宣言」は平和実現のための有効な、崇高な人類の誓いだ。国家単位だけでは人は守れない。グローバリゼーション、人、物、情報(IT)の流れが激しい分だけ、真の共生を目指す社会的弱者の人権が排除でなく、守られるシェルターが生まれなければならない。わがNPOは、そういう生活圏を地域に拡げる教育的課題を担っている。
1つの事例を伝えたい。筆者在住の川崎市は1970年代初期から市民運動(日本人と在日韓国・朝鮮人の共闘によって生まれた民族差別と闘う連絡協議会−母体は別の運動に変わったのでなく、今もネットとしてある)と川崎の行政と手を組んで、人権尊重の教育啓発活動を今も続けている。それが市教委の外国人教育基本方針―多文化共生教育を目指して(1986年制定―1998年改正)となり、1996年、市の条例として発足した外国人市民代表者会議(筆者2年任期の1期、2期の委員長を歴任)となった。この会議の席上、民族学校校長がメンバーの1人として証言した。「民族衣装のチョゴリ、チマの子供たちが、川崎ではいじめにあっていない」と。
そろそろ、センターの英文表記を見ていただきたい。多民族はMulti Ethnicなので、それを頭にすると“Multi-Ethnic'
Human Rights' Education Center for the Pro-existence”となろう。少し長いので,頭文字を取って、MEHREC・PE(メ―レック・ピーイー)とすれば、さらに略して“メーレックP・E”とか、メールに近い“メーレック”とすれば良いのではなかろうか。東京にRAIK(レイク)と親しまれている、資料センターが仲間としてあるがMEHREC(メーレック)の主たる働きは人権教育、啓発事業のNPOとして、関西だけでなく、全国に翼を拡げて頂きたい。来年、国連主催の人種差別撤廃大会(昨年の8月の末から9月初め、於南アフリカ共和国ダーバン)の不充分さをカバーするEU主催の世界会議がスペインで開かれることはメーレックの働きの重要さを示している。
多民族共生人権教育センター 理事 李 仁夏
|