多民族共生人権教育センター
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日韓共催ワールドカップの裏側

 信じられないようなあの喧騒から、一ヵ月が過ぎようとしている。
それまでサッカーにはまったく興味、関心のなかった人たちまでが、試合結果に一喜一憂し、マスコミは日々こぞってサッカーに明け暮れた。私にとっても他人事ではなかったことを告白しなければなるまい。テレビの前に座り込み、声をあげ応援していたのだから。家族の手前、韓国チームを応援する風を装ってはいたが、心の内では日本チームに比重が傾いていた。

 日韓共催(韓国側からは韓日)について開催に至るまで、「なんで韓国なんかと共催するの」という声も少なからず聞こえてきていた。また、教科書問題や小泉首相の靖国参拝に韓国側からも一時は懸念が伝えられていたが、終わってみれば双方の国民はこの共催は成功だったと褒め称え、友好はかつて無いほど深まったと評価された。たしかに、テレビの画面からは両国の人々の生の声、表情が映し出され、互いの国の国民性、文化がその共通点、相違点とともに伝えられた。その間も在日コリアンと日本人がともに応援する姿が繰り返し報道され、過去の事はともかく未来への友好を築く事が我々の責務だと言わんばかりのインタビューが続いた。しかし、テレビを見ている多くの日本人は、韓国にいる「韓国人」と日本にいる「在日コリアン」そしてその中の「ニューカマー」と呼ばれるコリアンの違いに気付いていない。韓国と日本、双方は互いの国家と国民しか見えていないと言えば「何をそんなに拗ねているの」と言われるだろうか。

 私たち在日コリアンは韓国を応援して当然と皆さんは思うらしい。それを証明するかのように韓国が勝ったあとわざわざお祝いの電話がかかったり、ご近所の方からもお祝いを述べられたりもした。在日コリアンは熱烈に韓国を応援していたというのが一般的だ。しかし韓国を応援するだけでは事足りず、私の夫のようにいざスポーツとなると徹底して反日感情むきだしになる人間もいる。とにかく日本さえ負けてくれれば良いというのだ。これも在日コリアンの一面である。

 ある時、在日の保護者達にそれぞれの家庭の様子を聞いてみた。親たちはみんなそろって韓国の快進撃を喜んでいる。そして日本よりも韓国を応援しているのが当然のようだ。韓国から在日コリアンに嫁いできた友人に「日本に対して負けてほしいという気持ちはあるか」とたずねたところ、「少しはあるけれども、そんなやましい心が韓国を負けに導くかもしれないから思わないようにしている」との答えが返ってきた。心底自国のことを思っているのだと感心してしまった。

 微妙な変化を見せていったのは子どもたちだった。それまで日本を応援していた子どもたちは韓国が勝ち進むにつれ、素直にその勝利に喜び、応援を始めたそうだ。特に顕著だったのは、幼い時から心無いことを言われ続け、自分の民族について肯定的に捉えられなかった子どもたちが韓国選手のファンになり、その活躍を心から喜んでいるのだ。彼らはそれまで進んで口にすることがなかった「韓国に行ってみたい」や「ピビンパプも好きになった」という言葉を発するようにもなったらしい。

 やっと韓国が好きになり、自分と家族が一つのチームを応援するという一体感のもとに安堵感を得た、そんな友人の息子に、またもやひどい言葉が浴びせられていたと聞いたときは、悲しみが、くやしさが、私の胸を押しつぶしそうだった。日本人の同級生からの言葉は、「調子にのるな、朝鮮人のくせに」、韓国が16強入りした時は「韓国が勝っても日本に来る金無いやろ」というものだった。某新聞で30代の日本人女性が「韓国が活躍することを素直に喜べない」と投書していたこともあった。これらの思いはナショナリズムではない。偏見と差別だ。

 日本に住む多くの在日外国人が、自分の祖国を応援し熱狂した。彼らの姿により、日本が疑いもなく多民族国家へ進んでいることを認識した人は少なくあるまい。だが、その認識が遅すぎることは明白である。200万人の外国人隣人が地域市民として存在していることを日本社会に喚起せねばならない。3世・4世の子どもたちに今もって浴びせられる差別語の意味を、友好の美酒に酔っている人たちへ私は敢えて投げかけてみたいと思うのだ。

多民族共生人権教育センター理事  李美葉

 

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