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北朝鮮問題雑感
いわゆる北朝鮮問題でもちきりである。未だかつてこれほど彼の国に日本社会の関心(もちろん敵対的なものではあるにせよ)が向かったことはなかったであろう。日本は、普段から「平和ぼけ」を自認しているだけに、感情に流されると、逆に理性的な話が全くできなくなる危険性を帯びているように思われてならない(昨年9月11日のテロ後のアメリカも似たようなものかも知れないが)。要するに振れ方が激しいのである。例のヘギョンちゃんの報道を見てみよう。被拉致者が帰国した事実は、掛け値なしに新聞の第一面を飾るべきニュースであったが、年端もいかない被拉致者家族である少女のインタビューがさほどの報道価値があるはずがないにもかかわらず、一部の新聞では特大カラーの顔写真とともに第一面を覆わせた。これは、独占取材の功を衒った商業主義以外の何者でもない。北の政策の片棒担ぎという批判が当てはまるかはともかく、世論を感情的に煽る効果を狙ったものであることはほぼ間違いなかろう。
私は韓国籍であり、韓国系の民団とも縁が深いが、それとは関係なく、いわゆる北朝鮮という国についてかねてよりとりわけ厳しい評価をもっている者であり、その厳しさにおいて人後に落ちないつもりである。
その私に言わせても、今の状況は理性を忘れた状況である。彼の国により拉致された自国民を返せと要求する点については全く正当であるが、むこうが責任を認めて協議の結果、1ないし2週間という期限付きで帰国を認めるとの合意を見て被拉致者を一時帰国させたのである以上、その約束は国際合意として守られて当然であるのに、日本では、もはや彼の国に戻しては二度と帰国できないとばかりに、「永住帰国」させるというのである。そして、国際合意に基づいて一旦戻すべきだと主張した外務省の田中局長は、ほとんど国賊扱いされていた。
しかし、ここで拉致に直接に関係のない第三者である我々にあっては、少し立ち止まって考えてみなければならない問題がある。すなわち、日本においては居住移転及び国籍離脱の自由が認められ、この原則に立てば、日本に帰国するか、彼の国に残るかは、最終的には被拉致者自身が決めることであって、拉致被害家族にも日本国政府にもそれを決定する権限は全くないということである。
もちろん、彼の国に帰国させることは、被拉致者を拉致者の元に返す行為であり、それ自体通常はあってはならない行為であって、国民が自由に意思表明することすらできない状況であることを考えれば、彼の国に戻しての判断内容は、自由な意思決定の前提を欠くものであり、そのような状況下での判断を妥当なものと認めることはできなかろう。
だが、忘れてならないのは数十年という時間の重みである。被拉致者は、既にむこうで結婚して家庭を持ち、子をなしているのであって、彼らには彼らの生活があり、配偶者がむこうに居続けたいといえばそれを拒絶できないし、彼の国もその気になればそれを阻止できるのである。そうであれば、今の日本政府の政策を前提とすると、今度は新しい家族が引き裂かれることにならざるをえない。これでは、体のいい拉致の意趣返し・繰り返しに過ぎない。義憤に駆られてしたことが新たな犯罪をもたらすことは、我々の業界では珍しいことではない。
このような事態を避けるために、政府は一時帰国の前に、帰国後は一旦被拉致者をむこうに戻すことについて予め十分説得し承諾を得るなどしておくべきであった。その点で、こうした迷走の原因は、日本政府にあると言わざるを得ない。
このような拉致問題には全員を満足させる解決というものはあり得ない。せいぜい、被拉致者が日本に帰国することや被害家族が彼の国に親族訪問することを完全に自由化するといった程度の方策以外ないのではないかと思われる。
いずれにせよ、日本政府が態度を豹変させたことにより、交渉は暗礁に乗り上げ、まだ生死どころか拉致の事実さえ明確にされていない拉致疑惑下の日本人についても、その安否を確認することは困難となってしまった。死亡と発表されながら、実は生存しているかも知れない日本人についても、しばらくは生存の朗報を耳にする望みは絶たれた。
日本政府というべきか日本社会というべきかわからないが、これほどまでに自国民を大切にしている国であるのであれば、どうして朝鮮人と結婚した自国民の国籍を戦後奪ってこれまで平気な顔をしてきたのであろうか。日本社会から澎湃として元日本人妻の帰国運動が起きてこないのはなぜなのであろうか(現在も日本国籍を有する日本人妻については、政府においてもそれなりの動きがあるようであるが)。反対に、もし今日本社会が元日本人妻から国籍を奪ったことで謝罪を求められたとすれば、日本社会はどのような回答をするだろうか。これが、これほどまでに自国民の境遇に胸を痛める日本社会について私の抱く一つの疑問である。
弁護士 張 學錬(チャン ハンニョン)
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