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多文化共生が日本を変える!
このタイトルは決して大げさな予言ではない。これまでに日本社会が海外の影響を受けて大きく変わってきた事実はいくらでもある。古くは朝鮮半島や中国の文化と日本古来の文化との融合によって「日本特有の文化」が生まれた。そして中世以降は西洋の影響を受けて日本人の生き方が大きく変化した。
いまや世界の国際化が進むにつれて各国の文化が変動するのは当たり前のことである。どの国も自分たちの文化のみを原動力に現世で生き残ることは、もはやできなくなっている。
そこで私は日本の多文化が進んでいる現状と、それに基づいて予測できる未来のことについてここで書いてみたいと思う。
ご存知のように現在日本には200万人の「『純日本人』でない人間」が定住している。たとえば南米から就労を求めて移住してきた日系人は、日本人の血統を持っていても「純日本人」とは言えない。彼らの国籍や言葉は日本のものではない。又、帰化によって日本国籍を取得した人も同様である。私自身もその仲間の一人だ。「純日本人」と区別するために、私は自分を「フィンランド系日本人」と自己紹介している。私が議員になったことによって、ようやく国会にも国際化が入り込んだことを、我ながら誇りに思っている。国会議事堂でカタカナの氏名標(名札)が立っている議員は、まだ私のみであるのが残念ではあるが。
在日コリアンの人口や歴史に照らせば、「コリアン系国会議員」が私より先に数名いてもおかしくないことだが、未だにコリアンが国政選挙に出馬する動きはないようである。政治参加は決して「虚構単一民族社会」への同化を意味するものではない。それによって政治の国際化が進み、日本の社会が多文化共生社会に変わっていくために、政治参加は重要だと思っている。一日も早く「純日本人」でない国会議員の仲間が増えることを祈ってやまない。
人口からみれば在日外国人の割合はわずか1.5%であるが、「帰化」した人を含む我らの日本社会への影響は極めて大きいと考える。たとえば国際結婚をした「国際家族」が家庭の国際化を促進している。又、「純日本人」でない子どもたちの就学はその学校の国際的雰囲気をつくる要素にもなる。
国立大学入学資格の「偏った弾力化」が最近大きな問題になってきた。規制改革推進3ヵ年計画が昨年すでに閣議決定されたが、その「施行」が今年4月から始まろうとしている。改定によれば、欧米系のインターナショナルスクールを卒業した生徒にのみ、日本の大学や高等学校に入学する機会を拡大するとしている。入学資格の基準になるのはアメリカやイギリスに本部をおいている認定団体のみで、日本で現在その認定を受けているのは16校だけである。朝鮮系やブラジル系のいわゆる「民族学校」はすべて排除される。排除されようとしている「民族学校」関係者の抗議運動が起こっているのは当然であって、それに賛同する国会議員も超党派で出ている。私が事務局長を務める民主党の「在日外国人に係る諸問題に関するプロジェクトチーム」もその運動に参加している。残念ながら野党の立場からできることは限られているのだが。
当プロジェクトチームで最近取り組んでいるもうひとつの重要テーマは、「多文化社会の義務教育学齢期子どもたちの教育と人権擁護」の問題である。解決策に当たっては日本国憲法の解釈や改正にかかわる問題でもある。
有り難いことに私は参議院憲法調査会のメンバーでもあるので、当問題に対して3月12日の調査会で質問する機会が与えられた。4名の参考人のヒアリングに対する質問の形であった。
憲法第26条が定める教育義務を在日外国人の子どもにも適用できるかという私の質問に対して、参考人の東澤靖弁護士は次のように答弁した。
「憲法上の下では、国籍に限らず、子どもの立場、教育を受ける権利があるし、親たちはその教育を受けさせる義務がある。ただ、実際上、親たちがそれを知らないために、あるいは外国人登録がなされていないため実施されていない問題はある。」
教育を受ける権利についての私の見解は東澤弁護士と同じである。しかし外国人子どもの親に対する「教育を受けさせる義務」について、日本は曖昧な態度を示している。つまり、親が自発的に自分の子どものために、適切な学校を探してそこに入れるよう努力するなら、学校側も大方においてその希望に応じている。しかし行政がその義務を積極的に執行し、不登校の子どもが通学できるようにと働きかけることはほとんどないようだ。このことも日本国籍を持つ子どもの状況と比較すれば明らかな差別である。
最後に、多民族共生に関わっている皆様へ一つお願いがある。それは今まで以上に日本社会全般のいろいろな問題の解決に、日本人と共に取り組んでいただきたいということだ。つまり、マイノリティの我々が自分に関わる問題だけに取り組んでいるだけでは、共生社会実現に対して十分ではない。「純日本人」とは異なった民族文化を持つ我々自身が、日本社会を変えていこうという使命を持って社会全体の問題に向かって積極的に貢献するのなら、我々の存在が社会の健全化に大きな役割を果たすことになり、我々のそのような姿勢を見た「純日本人」が、我々も社会の一構成員であったということに気付くであろう。
21世紀の日本は我々を必要としている。我々なくして多文化共生社会は日本に築き上がらないと私は確信している。
参議院議員 ツルネン マルテイ
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