多民族共生人権教育センター
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オピニオン 「2003年3月18日結審を迎えて」

2003年3月18日 結審を迎えて

 聴覚障害のある在日韓国・朝鮮人7名が京都地方裁判所で障害基礎年金不支給に対して国に提訴されて三年、今年3月18日に結審を終え、8月26日、いよいよ判決です。

直接裁判長に訴えたい

 約80席ある傍聴席はほぼ埋まり、公判が始まった。原告の金洙榮さんは、陳述の最後に近づいたとき、初めて声を発せられた。
 「裁判長、これからは通訳をつけないで、自らの声で話すので聞いて下さい。通訳の人、すみませんお願いします」と言って、手話と自分の声で話された。それは結審を迎え、ありったけの思いを裁判長に直接訴えたい、そんな強い思いからだったと思う。
 陳述を終えた金さんは原告団に合図を送り、皆が一斉に起立して「差別を無くし、問題解決に結びつく判決をお願いします」と話し、全員で裁判長に一礼した。胸がいっぱいになった。裁判が始まって3年、提訴前の準備も含めると約6年。一人ひとりしんどい生活を抱えながら、難しく慣れない裁判の勉強、支援の人に向けての手話教室、いろんな事を思い出し、「お疲れ様です」と思わずにはいられなかった。

このまま終わっていいのか

 最後の公判を前にした話し合いの中で、原告団長の金洙榮さんは「これで結審でいいのか。私たちはまだ、在日無年金障害者の本当の苦しみを明らかにできていないのに、このまま終えてもいいのか」と、焦りと憤りをあらわにされた。これまで、金さんを頼って来られた多くの在日無年金ろうあ者、原告になる予定だった故金光孝さんや自分以上に苦しんできた女性や先輩たち。二重三重の差別の現実に精神的に追い詰められ自殺した人、精神病を患う友人知人。民族差別により離婚して身寄りも所得もなく施設に入所している人。ただ泣き寝入りするしかなかった多くの当事者の実態を明らかにせずに裁判を終えることはできない。そう切々と訴えられる金さんの話を受けて、最終意見陳述はやはり金洙榮さんが行うことを皆で確認した。
 最終陳述書をまとめるために数日間金さんの家に行って何度も話を聞いた。朝早い仕事なのに夜遅くまでつきあってもらった洙榮さんとおいしい手料理をご馳走して下さる奥さんのおかげで、ようやく意見陳述書が完成した。また手話通訳との確認会を数回もち、手話の練習を重ねた。その時、金さんが、最後は通訳無しで自分の声と手話だけで裁判官に訴えたいと言われた。堅い決意だった。

最後に

 3年前は全く手話ができなかった私だが、原告の皆さんとも徐々に親しくなり、今は家族のように親密に感じている。
 当事者は聴覚障害者だけではない。現在、厚生労働省が無年金障害者の生活実態調査を行っているが、対象者が実質的には中途障害者や日本人がほとんどで、施設入所者、知的障害者は除外されている。さらに、約1,000万円の予算をつぎ込みながら、厚生労働省には調査結果を施策につなげる動きが見られず、アリバイ的とさえ見受けられる。
 私たちは独自で在日無年金障害者の実態調査を行っている。調査では41歳以上の在日無年金障害者の、同年代の日本人障害者とは全く違う実態に接し、改めて愕然とさせられた。ほとんどの方が障害者手帳をもらう時期が遅く学校はまともに行けず、ずっと在宅でめったに外へ出たことがない、親がいなくなると施設で生活するしかない等々、充実しつつある日本の福祉社会を享受できていない現状がある。
 力不足の私だが、人と人の出会い、共感と連帯のきずなの大切さを感じる。裁判闘争を通して、原告と関わるすべての人が出会いを運動の糧にし、そして自分の糧にできるような活動を進めなければならない。何よりも、先進国日本が何十年もの間、人間の尊厳を保障せず無視してきた問題の解決が私たちの目標である。しかし、頑として多数者にしか関心のない日本政府のあり方を打ち破るためには、厚い連帯と絆が大切だと思う。より多くの人のお力をいただきたい。
 一度、裁判長の都合で判決を2ヶ月も延期させられ、8月26日午後3時50分から京都地方裁判所の判決となった。同時に判決前決起集会も延期せざるを得ず、8月23日午後6時30分から京都の地下鉄丸太町駅下車すぐのハートピアで開催する。
 判決がどう出ようとも、在日無年金者の人間としての尊厳を勝ち取るまで、裁判闘争と厚生労働省への要望を続けていきたい。今後とも、ご支援ご協力をお願いいたします。

在日外国人「障害者」の年金訴訟を支える会 事務局 鄭明愛

 

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