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“真実・和解・平和” 去る7月、二度も韓国訪問で経験したこと。8・15を契機に始まった平和運動を、上記のキーワーズ三つで今の日本社会へのメッセージとさせて頂きたい。最初の旅では韓国の西南の30万都市の順天を訪ね、10カ所を越える市民団体と教会で語る機会を与えられ、日本と同じように人権・環境・平和の市民運動が活発に動いているのを見て、やはり、国家・国際でなく、これらのテーマは日韓・アジア・世界の市民連帯によって進められなくてはと、痛感した。今回のWTOの総会が国同士の合意に達せられなかったことを見ても分かる。市民たちの反グローバル市場運動との合意がなかったからである。 7月初旬の旅で、6月訪日した廬武鉉大統領が日本に残した言葉を確かめたかった。「北朝鮮の脅威をあおりたて、有事三法とか軍事増強に走っている日本を脅威だと考える人々が韓国には多い」との危機意識が韓国民にどの程度あるかと探ってみた。主婦のレベルまで浸透している反米意識・屈折していて、反米というより反ブッシュ政権とそれを支えるネオ・コンへの反発が強い。日本人の感情は拉致家族問題にからみ取られている。勿論、北の国家犯罪はけじめをつけなくてはならない。しかし異常な程までの北朝鮮バッシングとメディアの煽り方を理解できずにいるのが、韓国の雰囲気である。韓国民は数百ケースの北による拉致被害を蒙っているが、それを堪えながら南北和解、経済交流が進んでいる。最近は南北の直接交易に関わる共同合意文が交わされ、数百の中小企業は開城工業特区に入る手続きも進み始めている。これらの動きは日本に報道されない。あってもベタ記事だけである。そして、野党人士(民主政権下で彼らは親日親米派)と右翼(反共親米派)の行動のみを大ニュースと伝える日本の今をどんなに心ある韓国人は嘆いているか。「日本は米の属州になってしまっている」とさえ言っていた。 7月後半の二度目の訪韓は、1970〜1980年代の「韓国キリスト者民主同志会」が密かにやっていた事業が公開される記者会見に、日本人2名、米国人・独乙人各1名と私が招かれてのことだった。「韓国からの通信」TK生は私だった、との池明観教授も仲間だったが、16年間も続けた雑誌「世界」が有名だったから小事件のようなマスコミの報道だった。重要だったのは44万頁・数万点に及ぶ軍事政権下の抵抗運動が発した地下文書が、国立国史編集委員会(あの時代、大学を追われた李萬烈名誉教授が理事長)がインデックスを付けて公表されたことだった。あの当時、東京にデスクのあったアジアキリスト教協議会都市産業伝道部門幹事だった呉在植氏が職務上集めた、これらの文書を1982年から私が責任者として継承し、民主政権成立を見て、1995年、文書センターを閉じ、保管したものを2年前、国史編集委員会に送り届けた。在野の抵抗資料を国が国史に編集することは日本にはないのではないだろうか。ちなみに、記者会見は韓国民主化記念事業会(6回も獄中経験を持つ朴炯圭牧師が理事長)が政府の予算措置でまかなってくれた。その旅はいつもと違い、少し格の上のホテルに2泊することができた。 その旅から帰って、8・15の朝、平和遺族会(全国遺族会と靖国神社の癒着を嫌って離脱した平和市民連帯)で講演を頼まれ、“北東アジアの平和実現をめざして〜真実・和解・平和〜”について訴えた。北京の六カ国会議を前にして、250名の参加者に訴えた。日米同盟関係に二本足を入れるのではなく、もう一方の軸足を北東アジア、特に、朝鮮半島に移さない限り、日本は平和でなく、米軍の戦略に巻き込まれるのではないか。バランスのとれた決断が、日本も域内でリーダーシップがとれる道を開くのではないかと訴えた。 南アのマンデラ政権が出帆した時、Tutu主教が「真実・和解」委員会を立ち上げた。過去の少数白人のアパルトヘイトの真実を明らかにするのは責め、責められる関係を和解に持っていくためである、と。やがて、ノーベル平和賞に輝いた。私は日本と朝鮮半島・アジア間に、歪められた歴史教科書ではなく、植民地支配の真実を明らかにし、和解、即ち平和をゴールにする日韓市民連帯を提唱した。私も驚く反応があり、多くの平和ネットが連帯して、9・11の被害者の反戦家族代表を米国から招き、11月28日6時PM、一橋の日本教育会館で“平和な明日を(Peaceful
Tomorrows)〜北東アジアに真実・和解・平和を〜”で結集し、その代表をソウルへ送ることになっている。 多民族共生人権教育センター理事 李 仁夏 |