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滋賀コリアン生活サポートセンターの試み
これまでのことなど
私たちの小さな運動は、1991年頃から始めた在日無年金障害者・高齢者問題への取り組みが最初でした。そのことは私自身にとって、娘が脳性マヒ者であって日本の田舎で酸素の足りないような苦しさで生きてきた思い、それを抜きにしては考えられません。
1982年に難民条約批准による国内法整備の一つとして、私の娘にも特別児童手当が支給された時のことが忘れられないのです。小3でした。日本の政府からお金をもらうということが信じられないので、引き出して使うことがしばらくできませんでした。しかし、まさにその時から20歳を過ぎていた在日障害者の新たな苦しみの日々が始まった訳ですが、私にはまだ解っていなかったのです。
私の住む所には重症心身障害者施設があります。そこの入所者の中に、朝鮮籍の青年がおり、無年金の上に家族の支援も困難な状態という話でした。夏の暑い日にはアイスクリーム1個食べるのが入所者の楽しみであるのに、彼にはその金も無いと。
「何とかならんやろか。」と知人から話を聞かされた時、力になりたいとすぐに思いました。考えたのは「この苦しみをわかるのは在日だけだ」ということです。日本人にはわからない。わかるのならばこんなに放置しないのだ。日本と日本人に対して、私の心は固く閉ざされていたので、「民族」という概念に思い入れがあったのかもしれません。当時、民族団体の人に頼んでみたり、在日の障害児の親を集めて支援体制を作ろうとしたりしたのですが、うまくいきませんでした。
ある日、県と交渉する為に大津駅に降り立つと、車椅子の日本人障害者が前を行こうとしています。親しく話したことはないのですが顔は見知っている人なので、「おはようございます。今日はお出かけ?」と挨拶すると、彼は「一緒に県へ行くんですよ!」と言ったのです。障害者運動をやっている人、全障連や青い芝などの若い障害者が共に闘ってくれました。彼らからたくさんのことを学びました。その後、1993年に大津市等で救済制度ができましたが、それは他に比べても先進的な内容を持ったものでした。
一日お楽しみ会に集う面々
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| 第1回在日コリアン高齢者「お楽しみ会」の様子 |
まずボランティアでミニデイサービスをやってみようということで、今年3月30日に第1回在日コリアン高齢者「一日お楽しみ会」をしました。民族団体じゃないところがするらしいとの訳のわからなさで、皆さん緊張しながら30名位集まってこられました。民団に関わりのある人は婦人会会長さんがエプロンをつけて調理室にいるのを見て安心し、総連に関わりのある人は女性同盟委員長を見つけてホッとするという風でした。
後刻、アンケートをとらせてもらいましたら、「これからもこういう会をやってほしい」が一番多く、「旧友に会えてうれしかった」というのもありました。同じ市内にいながら心おきなく同席できる場がなかったのでした。
また、「私らは行くところが無いから、そういう場を作って欲しい」と言われた方がいました。その方は、地域の老人センターの風呂に入って、疲れたので和室で少し横になっていると、「下品なことはやめて下さい。」と日本人利用者に言われ、もう二度と行かないのだということです。
心尽くしの食事の後は、チャンゴで唄や踊りとなります。カラオケセットも用意し、調理ボランティアの人たちで次から次に楽しんでいると、「私らはこっちがいい。」と、カラオケとは違うマイクの場所にぞろぞろ行かれるのです。字が読めなければカラオケもつまらないことでしょう。以後はカラオケはやめるようにしました。
また、おなじみのAさんが来られていないので、近所に住むBさんに尋ねてみると、「あの人は今日はあっち。」と、催眠商法と言われる高額商品を売りつける集まりの事を聞きました。あぶないですよ、と言うと、何ともないと言われるのです。「私ら年金も無いこと、あの人ら(商売人)一番よう知ってる。私らのことなんか相手にしてない。相手にするのはカネを持ってる日本人の年寄りだけ。私らはタダのもん貰うとき、すまんな言うて遠慮しながらもろてる。」とのことでした。
「ヘルパーステーションけなり」事業開始
今年8月1日に訪問介護事業所の指定を受けました。一日デイの中で、介護保険制度や申請の仕方などの情報伝達もやってきたのですが、まだ適当な家屋も探し出せずにいる状態で、何かの受け皿が必要でした。
滋賀県は真ん中に琵琶湖があって、交通アクセスが悪い上、在日コリアンの多住地域というのも殆どありません。人口は県全体で7千人を切っています。民族団体としても、介護関連事業に手を出しかねているというのが本当のところのようです。
市民運動から始めた私たちはお金の問題に弱いのが難点です。けれど、「滋賀ではダメだ。」と言われても、今困っている人に夢の話をしてお茶を濁すことはできないのです。
利用者の方の一人は、一日デイの最初からの参加者で、事情が緊迫し、「けなり」スタートと同時にホームヘルプサービスを使っていただくことになりました。この人に間に合ったことがうれしいと心から思いました。
その他の利用者はボランティアスタッフの家族などです。まだまだ事業としてはこれからです。しかしこれはどこでもそうだと思いますが、一度利用して下さった人は、少しずつでも続けていただいています。
私たちの家を求めて
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| 大津市民病院ボランティアによる医療相談 |
年金権を生存権と位置づけて闘う在日無年金者運動。
旧日本軍軍属として南方の島に従軍し負傷しながら、戦後の一方的な国籍剥奪により何の保障も無いまま見捨てられた姜富中さんを支援する裁判闘争。
在日一世はなぜ滋賀の地に住むようになったか、各地に残る集団移住の跡地の見学、調査。
「地域振興券」は地域住民として生きる人々の中に不平等性をさらけだしたが、日系ブラジル人、ペルー人の代表と共に行政に抗議を行う中、彼らの中に私たちに共通のものを感じたこと。
10年余のささやかな歩みの中で、これらの思いを統合し、発展させ、若い人たちに繋いでいくということが、もしかしたら私たちにもできるかもしれないという希望。
一日デイの最初の日、私はこのように言いました。「家族や血族とは別の、大きな家をつくりましょう。友だち、仲間、同世代、いたわり合い、励まし合い、領ち合う家を。」
NPO法人 滋賀コリアン生活サポートセンター
理事長 全 敬 子(チョン キョン ジャ)
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