多民族共生人権教育センター
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オピニオン 「社会システムの変革とヒエラルキー」

社会システムの変革とヒエラルキー

 部落解放・人権研究所紀要第154号に特集されている「企業の社会的責任と評価」の中で中村清二さんが、「グローバル化時代の企業と人権」について論じている。要約の中で「グローバル化した今日、新たな質を持った企業の社会的責任の確立と、その中に位置づいた人権・部落問題の取り組みが求められている。一方で、そうした誠実な企業を支援していく社会的仕組みづくりが急がれている。これは、企業のあり方にとどまる問題ではなく、我々がどの様な社会をつくっていこうとしているのかという問題でもあるからである。第3期を切り拓く部落解放運動にとっても、その果たす役割と意義は大きなものがあるとして、論旨を展開オピニオンしている。経済基本主義の真っただ中で部落差別事件と関わった者として「企業の社会的責任」を四つの命題として纏めて、同企連や或いは依頼される講演でも主張し続けてきた。一般的には「部落地名総鑑」差別事件以来、糾弾を中心にして人権啓発が進み、組織的にも発展してきたと評価されているが、日本経団連や同友会その他の経済団体では、コアな部分では「部落問題」は避けられ続けてきたといってもいい。

 個別の企業の例を見ても、現在でもコンプライアンスは法務・リスク管理統轄部の中で室長として置かれ、人権教育は人事部の部内管理で室長或いは対外的に部内部長として存在するのが現実の様である。勿論その上にはそれぞれの部を担当する専務や常務が掌握する形はとっている。地名総鑑糾弾直後の企業は、社長や副社長が直接人権問題に関わっていたが、徐々にその形態は変化し安易に落ち着いている現実がある。環境問題や社会貢献についても企画部や人事部、総務部、社長室が担当するなど決して一連の企業責任としての所管がない。ステークホルダー資本主義の拡大やNGO・NPOの発展が消費者運動の拡大に拡がり、CSRが徹底的に認識されるためには、我々の運動をより積極的に企業に知らしめてゆくことが大切である。最近日経新聞で大きく掲載された大手電機メーカーが、部品や資材調達先に、環境対策や法令遵守など「企業の社会的責任・CSR」への対応を要求し始めた状況が報道されて話題を呼んだが、ソニー、リコーを始めそれぞれの企業が人権・環境・労働をどのように捉えているかが問題である。人権という問題の中に部落問題がどう位置付けられているか、在日コリアンの採用が労働の中でどのように普及しているのか、ただ海外で取引先や工場での不詳事件を起こさないための体制造り・経営リスクの軽減とブランド価値の維持・向上を目指すだけの人権問題なのかが問われる処である。

 現実に、誠実に人権問題に取り組んでいる企業を支援し、評価していく社会システムをどう作り上げていくかが重要な問題だろう。財務諸表から企業を評価する視点、或いは機関は溢れる程ある。しかし、人権の視点、つまり非財務諸表からの評価機関は全く限られている。しかも其らの機関(SRI等)に於いても、人権の視点は不十分極まりないのではないかと思う。部落問題や在日コリアン問題は彼等の人権の範疇に無いのかも知れない。そこで思い出されるのが、ライシャワー氏の著書「ザ・ジャパニーズ」の一項、ヒエラルキーの部分である。「日本人は階級や地位の違いを当然且つ自然なものとして受け取る。日本人の対人関係や所属する集団は、ヒエラルキー上の上下関係はあっても当然という大前提の上に組み立てられている。例え貴族が存在せず、法制上の階級差がなかったとしても、階級の区別はむろん現存し得る。しかし日本人の、階級区別に関する意識はどちらかというと弱い。のみならず、日本人が強調する集団志向は、階級意識とは寧ろ逆の方向に働いている。しかし例外がある。一つは未解放部落民である。今一つは比較的新しく日本にやって来た朝鮮人である。ともあれ日本的集団は、一方では目には定かに見えない形でのヒエラルキー関係を強調し、他方では同種の機能や地位を持つ集団との横の関わりを少なくさせることで、欧米に見られる様な階級意識を表に出さない役割を演じているのである。」日本人はとかく上下関係でものを考える、集団の頂点に立つ一握りの人達の考えをどう変えるかが、日本社会を変革する重大事であり、我々の使命であろう。

多民族共生人権教育センター理事 岡崎慎一郎

 

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