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二つの判決に思う 編集部からの注文は、3月下旬に出た二つの判決を素材に何か書くようにということだった。学生無年金障害者訴訟(24日)と中国人強制連行新潟訴訟(26日)は、いずれも原告勝訴の判決が言い渡され、大きな反響を呼んだ。 冷戦崩壊と戦後補償の噴出 中国人強制連行・強制労働事件については、私もいくつかの裁判に係わってきた。新潟訴訟でも、弁護団の求めに応じて「意見書」を提出していた。原告である中国人の「陳述書」にも目を通し、また新潟の地方史関連の史資料も読んで執筆した意見書のことが思い出される(提出は2002年2月27日)。 日本の侵略戦争なり植民地支配が、戦後に残した問題は多岐にわたり、その一つに強制連行・強制労働にかかわる問題がある。中国人強制連行を象徴する「花岡事件」の当事者たちが、1989年12月、北京から鹿島建設宛に「公開書簡」を送っているが、それが今日の戦後補償問題提起のさきがけとなったようだ。そこにある、(1)公式謝罪、(2)記念館の建設、(3)個人補償、の3項目要求は、ひとつの典型を示すことになった。 1989年には、「天皇の死」が記録され、「天安門事件」があり、「ベルリンの壁」も崩壊している。1990年8月、ソウルに太平洋戦争犠牲者遺族会本部を初めて訪ねた時のことである。「この会はいつできて、今までどういう活動をされたのか」との私の質問に対する答えはこうだった。「1973年に会はできたが、政府の締めつけが強く、ほとんど公開の活動はできなかった。“民生化宣言”以降ですよ、私たちが行動できるようになったのは…」と。それまでは怒りがおさえつけられてきたのである。 戦後補償裁判と時効・除斥、国家無答責 1990年代に入って、戦後補償裁判が相次いで提起され60数件に達している。法廷には、歴史の生き証人(遺族も含めて)の肉声が溢れ、さながら日本の過去を学ぶ教室となった。しかし、それを直に耳にしたはずの裁判官が書く判決は、あまりにお粗末というほかない。時効とか除斥という“時の壁”、そして国家は責任を問われないという“国家無答責”論とやらで、ほとんどの場合は安易な原告敗訴判決に終わっている。 それは、大雑把にみると、(1)事実認定もせずに門前払いに近い形で請求を棄却するもの、(2)事実認定に基づき不法行為なり安全配慮義務違反は認めるが、時効・除斥や国家無答責を適用して請求を棄却するもの、(3)違法性を認定し、時効や除斥に制限を加えたり国家無答責を適用せず司法救済をはかるもの、に大別されるが(3)はごく少数で、しかも上級審はまだ係争中である。 今回の新潟判決について求められたコメントの中で、私は「このような判決がもっと早くでるべきだった」と述べた。何故なら、次のように考えてきたからだ。直前の3月23日にだされた札幌地裁の同種事件についての判決は、除斥期間の経過により請求は棄却となっていた。中国人のもつ請求権は、1965年に除斥期間の20年が過ぎるので消滅するというが、その時、日本と中国とは外交関係さえなかったのである。形式的な机上の空論というほかない。例えば、日本と北朝鮮の国交正常化交渉において、日本の外務省も戦後50数年が過ぎており、北の請求権はとうの昔に消滅しているとは決して言わない。国際法の世界では、“時の壁”を問題解決に利用することは許されないのである。 同種事件の福岡地裁判決(2002.04.26)は、三井鉱山には賠償支払いを命じたが、国には「国家無答責」を適用して、請求棄却となった(福岡高裁は2004.05.24判決予定)。しかし、新潟地裁判決には、「強制連行や強制労働のような重大な人権侵害があった事案で、裁判所が戦前の法理を適用することは著しく相当性を欠く。少なくとも、本件で国家無答責の法理を適用することは許されない」とある。「国家無答責」というのも、実は国内的な理屈にすぎないのである。対日平和条約14条には「日本国は、…連合国に賠償を支払うべきことが承認される」とある。国家は責任を問われない、即ち「国家無答責」ならば賠償支払いなど不必要となり、矛盾すること甚だしい。 要するに、侵略戦争や植民地支配に係わる問題は、きわめて国際的な事件であり、それを時効・除斥、国家無答責などという国内の論理で審理することが無理なのである。“無理が通れば、道理がひっこむ”というが、新潟地裁判決はその道理にかなったものといえよう。 学生無年金裁判では「経過措置を欠くことは違憲」 学生無年金訴訟判決を聞いておどろいたのは、「1985年の法改正時においては、何らの立法的手当てをしないまま放置することは憲法14条(法の下の平等)に違反する」とした点である。すなわち、「1985年の改正法は、障害福祉年金を廃止し、20才前に障害を負った者に対しては、制度の根幹的給付である障害基礎年金を支給することにした。この結果、20才前に障害を負った者と学生との間の格差は、量的に著しく拡大するとともに質的にも異なったものと評価すべきである」、「1985年の改正法が従来障害福祉年金を受給していた者に障害基礎年金を支給するとしながら、学生無年金者には何らの措置をも講じないことも憲法14条に違反していた」と指摘している。具体的な事実を丁寧に追うことによって、そこに生じた不合理を糾そうとする姿勢には感心させられた。 法改正時に経過措置によって、その前後に生ずる不平等を是正するのはよくあることである。例えば、1984年に国籍法が「父系」から「父母両系」に改められた時も、次のような措置がとられた。改正法は1985年1月1日に施行され、以降は日本人母の子も日本国籍を取得することになった。従って、日本国籍が取得できないそれ以前に生まれた日本人母の子との間に不平等が生ずるので、特例が設けられた。すなわち、改正法が20年前に行われていたならば、日本国籍を取得したであろう日本人母の子は、法務大臣に届け出るだけで日本国籍が取得できる、と定められたのである。なお、届け出期間は、1987年末までのむこう3年間に限られた。要するに、法改正前後の不平等を少しでも解消するために20年さかのぼる措置がとられたのである。 外国人無年金の発生は誰の責任 ところで、外国人無年金問題はどうして生じたのであろうか。少なくとも2つの時点で考えなければならない。まず、1959年に国民年金法が制定されるが、それに「国籍条項」が設けられたため、外国人は掛け金を払うこともできなかった。厚生省の認識はこうだった。「橋本(龍太郎)厚相は、難民の受入れ問題に関連して、ほかの在日外国人の法的地位に関連してくる問題には慎重にならざるをえないと述べた。これは、在日韓国人や朝鮮人に対して国民年金への加入を認めていないことをふまえたもの」と報じられた(朝日新聞名古屋本社版,1979年6月27日夕刊)。 1975年4月30日、サイゴン陥落により、ベトナム戦争が終結すると、大量の難民が流出し日本にもやってきた。皮肉なことに、同じ年にサミット(先進7ヶ国首脳会議)が発足し、毎年の会議には日本の首相も出席することになる。日本は当初、第三国への出国を前提にした「一時上陸許可」で対応したが、やがて「定住許可」を認め、さらには「難民定住促進センター」の設置へと、政策変更を余儀なくされた。結局、1979年には、国際人権規約を、1982年には難民条約をそれぞれ批准した。「難民条約への加入に伴う関連法律の整備に関する法律」によって、国民年金法の国籍条項が撤廃されたのである(児童手当3法も同時に)。ここがもう一つの時点である。 国民年金は20歳から60歳までの間に25年間掛け金をかけることが基本となっている。国籍条項は撤廃されても、必要な経過措置がとられなかったため、(1)35歳以上の人は、25年間の拠出期間がとれないため加入しても無年金となる、(2)60歳以上は年金に加入できず無年金となる、(3)20歳以上の障害者は、障害福祉年金が支給されず無年金となったのである。1985年改正で国籍条項のために加入できなかった期間をカラ期間として算入できるようにはなったが、年金の計算には入らない、との手直しはなされたが、大勢は変わっていない。 実は、小笠原、沖縄の日本復帰時には、無年金者がでないように経過措置がとられたのである。その後も、中国帰国者、拉致被害者についても「国民年金の特例」が設けられている。最新の拉致被害者についても、その責任に帰せない理由により拠出できなかったために特例措置がとられた。国籍条項のために拠出できなかった外国人には、無年金になったことについて、いかなる責任もないのである。 自国民中心主義からの脱却を さまざまな経過措置がとられたのは、いずれも「日本国民」についてであった。外国人無年金者の存在は、結局のところ「国籍条項」の思想がまだ生きていることを意味している。在日コリアンの無年金障害者7人が京都地裁に提訴した裁判は、2003年8月、敗訴判決だった。その要旨には「国民年金制度は、憲法25条の趣旨を具体的に立法化したものであって、障害福祉年金の支給対象を定めるに当たって、立法府は広範な裁量権を有している」とある。 憲法25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とある。一方憲法30条にも「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ」とあるが、納税が「国民」に限られることは決してない。例えば、所得税法5条は「居住者は、この法律により所得税を納める義務がある」とある。外国人も全く同じように税金を払っており、国籍条項がなければ掛け金も同じように掛けるのである。この単純な事実が忘れられてはならないのである。 学生無年金障害者の日本人には違憲判決がでるが、在日コリアンのそれは「立法府の裁量」とされ合憲となるのはなぜだろう。裁判官も“自国民中心主義”に冒されているのだろうか。違憲判決後に伝えられる救済策に外国人が含まれるかどうか注目される。在日コリアン障害者の大阪高裁審理、同高齢者の大阪地裁審理では、より鮮明に今回と同じ“違憲”が問われねばならない。 多民族共生人権教育センター理事 田中宏 |