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日韓友好親善・人権音楽会に参加して
2004年5月4日夜、韓国晋州市、国立慶尚大学校芸術館において「衡平社運動81周年」を記念した人権音楽会が開催され、ソプラノ歌手の渡辺千賀子さんが招請を受けました。これは昨年4月24日、韓国「衡平社運動」80周年を記念して、国立慶尚大学で部落解放・人権研究所との学術交流会の懇親会で渡辺さんが歌ったその美歌に、偶然同じグループにおられた曹圭泰先生(教育研究院長)がいたく感動され、その先見性とご努力で実現したものです。私が団長で総勢9名が招待を受け同行・交流しました。
大学の構内に入ると、まず渡辺千賀子招請と書いたカラー刷りの横断幕、400人収容の芸術館には屋上から同じく渡辺千賀子招請人権音楽会と大書した懸垂幕が掲げられておりました。韓国側の歓迎の気持ちがどんなに大きいものであるか一目瞭然でした。
日韓国交の回復40周年を来年に控えることもあり、日韓双方で文化交流は盛り上がりつつあります。4月9日には大阪市の大平光代助役が訪韓され、李滄東文化観光相と日韓民間交流について意見交換されておられますが、今般の音楽会もその一翼となっていることを確信しました。 晋州市は日本に対する怨念の地でもあります。それは植民地時代のことはもちろんですが、豊臣秀吉による侵略の歴史にあります。壬辰倭乱(日本では文禄・慶長の役)で1592年以来7年間に及ぶ日本の侵略を受けた激戦の地です。晋州城内にある国立晋州博物館は壬辰倭乱をテーマとした歴史博物館で、そのリーフレットには1593年6月「日本の7万もの大軍は晋州城を完全に包囲し攻撃をしはじめた。晋州城の軍・官・民は総力を結集したが・・・3千余名の兵と6万の城民らは晋州城の陥落とともに全滅したのである。」と記載されています。この戦闘に殉死した人々の霊を讃える鎮魂祭が、毎年10月1日から国家指定の南江流灯祝祭として開催されています。また晋州城陥落のとき倭将を義岩に誘い出し、堅く抱きしめて南江にともに身を投げた、美娘・論介(ノンゲ)は、今日韓民族の忠節の象徴であり晋州の誇りということで、晋州市のシンボルマ?クにもなっていますし、毎年5月下旬には論介祭りが開催されています。子どもの時からこんな環境で育った市民や学生たちの反日感情は偏見だと言い切れないものがあります。 一方そんな歴史をもった街だからこそ1923年4月被差別民衆「白丁」の解放運動「衡平社」がこの地で興されたことが肯かれますし、今日韓国の解放・人権民主化運動の思想的原点をこの衡平運動に求め、私たちとの国際連帯を推進される理由が理解されます。 今般の音楽会には二つの大きな意義がありました。一つは音楽を通じて人権啓発と日韓友好親善を深めることであり、二つには国際的歌手をめざす渡辺千賀子さんにとって最初の海外公演でありその真価が問われるものだったという事です。課題曲ともいうべき「懐かしき金剛山」をハングルでみごとに歌い上げた渡辺さんの美声に魅せられた学生たちが、公演終了後、渡辺さんを取り囲んでサインを求める光景はすべてを物語っていました。 また、曹圭泰先生は5月5日夜のお別れ会の席で、この学生たちの姿に触れ「こうした交流を重ねることにより日本に対する若者たちの意識を大きく変えたい。昨夜の渡辺さんの歌はその大きな役割をはたしてくださった。来年は2,000人収容の市民ホールでやりたいものだ」と結ばれました。私も今般の音楽会の大成功で、文化芸術の意義と力、音楽の力をあらためて確認しましたと応えました。わずか3日間の短い旅でしたが、すべてが走馬灯のようにかけめぐり訪韓の大成功に酔いしれました。2004年5月4日−人権音楽会の果たした日韓友好親善への歴史的意義を確信し、晋州の皆様方との生涯変わらない友情と連帯を念じて帰国しました。 | 部落解放・人権研究所理事 | | | 多民族共生人権教育センター理事 | 大賀 正行 |
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