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差別をなくす社会システムの構築
〜人種差別禁止法の立法化の早期実現を〜
民族差別に対する取り組みは1974年、(株)日立製作所が朴鐘碩君におこなった就職差別裁判闘争勝利がきっかけに組織化された「民族差別と闘う連絡協議会」の運動が始まりでした。当時、民族にかかわる運動といえば、既存の民族団体をはじめ、他のほとんどの民族運動が祖国の統一と民主化に思いを馳せながら、祖国が統一すれば在日同胞の問題も解決する、という考えを主流としてその運動を展開している時代でした。しかし、生活の現実は待ってはくれませんし、悲しいことに統一が謳われ続けて半世紀がたった今も、わが祖国は統一されていないのが現状です。
戦後、私たち在日コリアンは「朝鮮人」「韓国人」というだけで就職ができなかったり、家が借りられないなど、民族を理由に差別されることは特に珍しいことではありませんでした。その厳しい民族差別の前で多くの在日コリアンは「あきらめ」に近い無力感を抱き、現状への「我慢」を強いられました。このような状況の中で「民族を理由に採用を拒否することは違法」という日立の就職差別裁判の勝訴判決は、私たち在日コリアンにとって画期的なものでした。当事者の声によって変革を実現する大切さと感動を与えてくれたのです。
これまでの多くの差別に対する取り組みを通し、在日コリアンの人権問題を社会に訴え続けてきました。ところが私たちが経験した被差別の現象が、近年急増傾向にあるニューカマーの生活のさまざまな場面に現れてきています。
ニューカマーと言われる新渡日外国人は1980年代の後半から増えてきました。これは、不足する労働力を外国人の「輸入」と称して労働力不足を補うために行った国策の結果です。しかし、人は物や機械ではありません。人が訪れるということは「人格ある人間」が、住民の一人として地域で生活することを意味します。国策として外国から人を呼び、国内で不足する労働力を補うならば、受け入れるための法整備を整えるのが当然のことです。
しかしながら、日本政府は在日韓国・朝鮮人問題から何ら学ぶことなく、人権立国として当然行うべき法整備や外国人の受け入れ体制等を怠ってきたのです。その結果、近年、在日外国人に対する「外国人不可」「ジャパニーズ オンリー」等の露骨な看板を掲げた、入居・入店・入湯拒否、カードローンやハウスローンからの排除、ニューカマーを「リスク」とした携帯電話料金高額先払い等の差別事件が起こっています。さらに、今年に入って私どもの事務局に「外国人はみんな日本から出て行け」などの差別メールが送られてきたり、大阪市東成区の社会福祉協議会に対する「外人を追い出せ」という差別投書、大阪府大東市内の眼鏡店での「黒人は嫌いだ、店に入るな」といった入店拒否等の外国人差別事件が後を絶ちません。これらの事件は、益々増え続ける外国人と日本人がどのように共生していくのかという大きな問題を投げかけています。
また、大東市で起きた事件はこれまで裁判で争われた、浜松宝石店入店拒否事件・小樽入浴拒否事件・埼玉皮膚色入居差別事件等のいわゆる人種差別損害賠償請求訴訟と異なる内容をもっています。それは民事訴訟だけではなく、刑事告訴を行っている点です。差別を禁止する法律がない現状で本件の処遇がどのように決められるかによって、今後の差別をなくす社会システムの構築に大きな影響を与えます。
日本は1996年1月14日に人種差別撤廃条約を批准し、それ以降人種差別禁止法が必要だという主張が繰り返しなされています。しかしながら条約批准後、長きにわたって国や自治体が人種差別を禁止するために何ら具体的な法整備や施策を講じてこなかったことが、多発する差別事件を個々の問題にし、差別の再生産をもたらしてきたと言えます。
多数の外国人が来日し定住していく中、彼らがさまざまな場面で直面する差別を個別の私的なトラブルに収めず、共に暮らす者の問題、さらには社会の問題としていかに捉えるかが多民族多文化共生のあり方を考える上でもっとも重要になります。
これまでのさまざま差別事件を通して、在日外国人と日本人の真の共生社会を求める声は誰もが否定しない確かなものになりました。これからはその声を差別をなくす社会システムの大きな柱となりうる人種差別禁止法の法制化に注いでいきたいものです。
多民族共生人権教育センター事務局長 宋 貞智
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