多民族共生人権教育センター
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オピニオン/「多民族・多文化共生社会の実現に向けて〜外国人施策の今日的情況と課題〜」

多民族・多文化共生社会の実現に向けて
〜外国人施策の今日的状況と課題〜

 かつて在日韓国・朝鮮人が在日外国人の90%を占めていた時代、日本政府の外国人政策の基本は「追放か同化」というものであった。
 民族差別と排外意識の強い社会状況下にあった在日韓国・朝鮮人の将来は、「絶対的貧困か絶対的同化である」と分析された1950年代後半日本政府の基本政策は「追放」に力点がおかれやがて北朝鮮への帰国(帰還)運動支持は人道的措置であるとして帰還促進が画策されていった。

 そして、日韓条約(1965年)によって制度化された協定永住が2代に限定され5年の時限立法であったのは、まさにこの基本施策の「同化」にあったからに他ならない。
 この時期に出されている2つの文部次官通達がさらに同化政策を証明している。1つは民族学校の認可を制限するものであり、もう1つは日本の公立学校に在籍する在日韓国・朝鮮人児童生徒への民族教育的配慮を否定したものである。
 残り続けた在日韓国・朝鮮人の多くは、厳しい社会状況下にあって民族差別を回避するために「同化」を余儀なくされる局面にさらされ続けた。

 そうした民族差別に抗する日本生まれの世代が出現し、やがて1970年代以降の民族差別撤廃運動を展開しはじめるのである。それはまさに同化に抗し、民族意識を覚醒させることによって自らの主体を確立しようとする闘いであった。

 1991年、戦前から在日する韓国・朝鮮人とその直系卑属に対する在留の資格が特別永住者とされ、在留問題が約半世紀を費やして確定したそれまでの闘いは、いわば民族的生き方を保障しろというものであったが、そんなに生きたいというならば生きてみよとボールが在日韓国・朝鮮人の側に投げ返されて来た状態にあるといえる。すでに、世代的には3世、4世、5世すら存在するといわれている。
 この間、日本社会は経済的には先進国入りを果たし、経済大国となった。それもアジアを踏み台として成長を果たして来た。
 今日、豊かさの1つの結果として、少子高齢化の社会状況を迎えるに至っているが、人口減少に伴い、労働力不足となっている。結果、1980年代より日系の外国人を労働力として移入してきたが、移民政策をとるにはなっていない。
 在日韓国・朝鮮人の生き方も多様なものになってきた。韓国語を喋れない世代が大半を占め、帰化を選択する者も増加している。民族名で生きる者が増加しつつも、圧倒的多数が日本名で生きているのが実態である。こうした実態は、日本政府のこれまでの政策の為せる業であるともいえる。それでも在日韓国・朝鮮人の多くは帰化をしていない。それは現行の帰化制度が民族的生き方を否定するものだからである。
 今日、よくいわれるところの「共生」は、民族的少数者である在日韓国・朝鮮人が日本社会に向かって訴えてきたものである。そこに在日韓国・朝鮮人の新たな生き方の選択が示されたといえると同時に、ニューカマーズといわれる多様な在日外国人の増加が新たな社会の在りようを模索する事態を生み出しているといえる。

 こうした時代の推移と現実を真摯に受け止める民間団体などからさまざまな外国人政策の制度化への提言がなされて来ている。
「在日旧植民地出身者に関する戦後補償および人権保障法」(1988年 民族差別と闘う連絡協議会)、「外国人住民基本法」(2001年 外登法問題と取り組む全国キリスト教連絡協議会「外国人受け入れ問題に関する提言(2004年 日本経団連)、あるいは「多文化共生社会基本法」(2003年 外国人との共生に関する基本法制研究会)等々の提言である。

 一方、日本政府の音頭取りのなかで「国際化政策」がこの間進められてきてはいるが、その多くは自治体の対処療法的施策にすぎない。さらに日本政府は、1996年に「人種差別撤廃条約を批准したにもかかわらず国内法の整備は遅々としてすすんでいない。
 こうした状況を打破するために、上記のような提言が広く世論化される「場」の形成が望まれる。また、教育機関を通しての啓発が繰り返し実施されなければならない。そして、在日外国人との交流が日常生活の場で深められる公的施設が各地方・地域で創られなければならない。

川崎市ふれあい館館長 ぺぇ重度(ぺぇ・ちゅんど)


 

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