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「在日という視点」
北か南か日本か。私はこのトライアングルの中でずっとぐるぐる回っていました。国籍は韓国。ルーツは朝鮮半島。でも、日本で生まれ育って母語も習慣も日本的。どれか一つに決めて生きなければと思っていました。そうすることが一番だと思っていました。しかしそれは本当に難しく、どれかを選ぼうとすると、どれも自分だし、どれも自分でないという矛盾に、二進も三進も行かなくなりました。
そんな私にある日、「在日という視点がかけてるねん。うちらは在日や」という一言を、多民族共生人権教育センター事務局長の宋さんが投げかけてくれました。それは強力な覚醒剤でした。イヤというほど口にしている「在日」という言葉を今まで何のために使っていたのだろうと心から感じた瞬間でした。
宋さんと出会ったのは、北朝鮮からの脱北者と交流して彼らの抱える問題や要求に耳を傾け、何らかの支援をしようという趣旨の集まりでした。私は以前から数人の脱北者と友達づき合いをしていましたが、支援という概念は全く持っておらず、その集まりにも友人としてできる限りのことをするという姿勢で参加していました。たとえば日本での生活で分からないことを教えてあげたりという幼稚な、浅いかかわり方をしていました。
その日、「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えてください」と訴える脱北男性の言葉は切実でした。その姿を目にして、私の隣に座っていたパワフルな女性は脱北者のための職場を確保しようとすぐに立ち上がっていました。それが宋さんでした。凄い人もいるものだとびっくりしている初対面の私に、「アンタがやって」と、多民族での脱北者支援スタッフに私を迎える提案をされました。
私は迷いました。嫌だからではなく、自身のアイデンティティも確立できていない自分に、今まで生ぬるい関わりしかしていなかった自分にできるだろうかと、不安になって迷っていました。ひと月悩んで宋さんに、やってみますと連絡をしました。そしてその時「在日という視点」「うちらは在日なんやから」という話を聞かせてもらって今度ははっきりと「色々勉強させてもらいます。お願いします」と自分から申し出ました。
それが今この文章を書くに至った経緯なのですが、今は走り始めてよかったと思っています。というのも、脱北者の口から「北朝鮮から来たということを隠したい」「子供が小学校に通うのにいじめられるから日本風の名前を付けたい」という言葉を聞いたからです。私たちの親と同じ轍を踏もうとしているんだと悲しい気持ちになりました。そして、そう言わしめる世の中に強い疑問を感じました。「脱北者支援」と言って始めたことですが、これはまさに私たちの問題だったのです。私たち在日が経験済みの、そして今もって未解決の大きな問題だったのです。日本で仕事に就くことも難しい脱北者には、仕事に就く前にたくさんの乗り越えるべき障害があります。そんなことは十分わかっていたはずなのに、全然見えていませんでした。彼らのためにと始めた支援は、今彼らを含む私たち外国人全部のための支援になる予感がします。「在日」という存在が生かされる時だと確信して、私は今、少し興奮しています。
多民族共生人権教育センター ハングル教室担当:張 美保(チャン・ミボ)
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