多民族共生人権教育センター
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オピニオン 震災ボランティア bofore after

震災ボランティア before after

 私はコ難しい事がとても苦手。勉強が嫌で、大学進学は考えなかったほどだ。今からでも、4年間も勉強なんてムリムリ。それが今では、時々「異文化理解」だの「多文化共生」とかいうコ難しい研究会やシンポジウムで大学生や研究者、NGOなどの方々と机を並べてフムフムと話を聞いている事がある。フムフムというより、ぼーっと、かな。
 今、私はフリーで韓国語講師、通訳、翻訳などをしている。韓国語はゼロから韓国の語学学校で1年習っただけだ。それも最後の方は勉強に厭きてサボってた。二十代も後半戦に突入した頃帰国した私は韓国での3年間で覚えた韓国語を武器に就職を探すしかなかった。バブルは終わって久しかった。
 小さな繊維商社に事務雑務兼通訳として入社。が、阪神・淡路大震災が起こり、その余波で会社は連鎖倒産。とたんに、なぜか会社には亡霊の如く不況にあえぐ業者たちが集まりだした。もう会社はない。時々事務所のあった雑居ビルに立ち寄ってみるが、よほど悪い運気が漂うのか、何年経っても空き部屋のままだ。
 震災の翌日から、私は「外国人地震情報センター」の韓国語通訳になっていた。設立者とは震災の半年前に知り合った。震災直後に「外国人住民に、彼らの母国語で情報を提供する」と立ち上がった彼を、若いのにエラいわーと思った。
 ボランティア業界に初めて足を踏み入れた私は、毎晩深夜に及ぶ激論を、やはり意味不明のまま観賞していた。激論を交わす人々は、震災以前から様々な団体で外国人問題に携わっていた。エラいとは思うが、あまりオモロクはないので、私のような大阪のオバちゃん風のにわかボランティアたちは、他愛なくしゃべって笑う毎日だった。もちろん仕事はマジメにやっていた事は言い訳しておく。そのうち、お気楽な私にも色々なことが見えて来る。

●自分を顧みず真面目にがんばる人ほど疲れ果てて続かない。
●言われた事をやるだけだと「ただ働きの気分」が募る。
 鬱憤はコーディネートするスタッフに向かう。
●韓国語ができるだけではほとんど役に立たなかった。
 他の言語では、ボランティア自身が日頃から在日外国人コミュニティに繋がりを持ち、様々な相談を受ける経験も知識も豊かだった。情報を提供し、それが役に立ったか検証するのも語学ボランティアの仕事だと思う。
●どんな分野でもボランティアはプロだ。

 彼らの力を必要とする人たちは命がかかっている。現場毎に理解しておくべき事は言葉以上に大切だ。
●ボランティアはタダで働く者という意味ではない。
 ボランティアで、素人ながら多様多彩な通訳や翻訳の機会をいただき、実践や勉強会など研鑽させていただいた事が今の私の大きな財産だ。使命感と有意義な経験が報酬だ。今では、やりたいことか、震災など緊急に助けを必要とすることでない限り、無償では引き受けないと線引きをしている。後進の為でもある。無償で経験させてもらう事はとても有意義なことだ。しかし、使う側が、経費節減の為にボランティアを使おうと考えるなら失敗するだろうと思う。

 震災から10年が過ぎ、私は今、住んでいる滋賀で韓国語を通じて様々な人との繋がりを作ろうとしている。震災がまた起こったとしても、だだっぴろい滋賀で情報を外国人住民にきちんと伝えるインフラは整ってない。どこにどこの国の人がどれほど暮らしているのかさえ把握できていないようだ。困り事ができた時、育児や仕事、法律、行政、レジャーなど地元での生活に関わる多様な情報を得る為の人脈が必要だ。
 最近NGO関係で外国人を滋賀で一時保護する仕事をした。都会ではサクサク進む手続きが遅々として進まない。そして無理解な行政の態度に愕然とした。何をどこに相談すればいいのかも判らない。嗚呼、滋賀はまだまだなんや…。
 たまに「社会派やね」と言われるが、かつてうっかりして再入国ビザが切れてしまってソウルから香港に強制送還されたことがある。所持金も知り合いもない私に、日本政府は冷たく、現地の人は優しかった。一人の外国人が敬意をもって扱われるかどうかは、私にとって決して他人事ではない。

韓国語サークルin京都・滋賀  永田 純子

 

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