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オピニオン 靖国問題に想うこと

靖国問題に想うこと

 自民党の総裁選挙も、ただ傍観するしかない私たちをしり目に、予測通り安倍晋三氏が総裁の座についた。同氏の靖国参拝問題や過去の戦争にかかわる歴史認識についての発言などを考えると、少々の危惧を感じてしまう。

ところで、総裁選の争点の一つとされたのが靖国問題であったが、候補者3名の主張、あるいはマスコミ報道を見聞きするにつけても、中国や韓国との外交や経済問題に焦点が絞られ、本質であるべき「歴史認識」が置き去りにされていたように私には感じられた。近隣諸国との友好関係の構築は重要なことであるが、歴史認識を前提にしなければ真の友好など成し得られないことを知るべきである。

私は、靖国神社には中学校の修学旅行で参拝した記憶がかすかに残っている。東京での3年間の生活の中では一度も行く機会がなかった。私の伯父もまつられているが、私は元来この靖国神社には興味もなく、無知であった。戦争の犠牲によって尊い命を失った人びとに対し心から手を合わせることを否定しているわけではない。ただ、8月15日の小泉首相の靖国参拝によって中国、韓国との外交関係が決定的に悪化する中で、国内での賛否両論の意見を聞くにつけても、特に参拝賛成論者の言い分には歴史認識の欠如、屈曲した解釈が見受けられて憤りすら感じてしまう。

また、靖国神社に付属の施設として戦争博物館「遊就館」というものがあることを正直最近まで知らなかった。一度も訪ねたこともない施設のことを評するのは多少失礼かもしれないが、遊就館の展示は「大東亜共栄圏の構築は自国やアジア諸国に富と幸せをもたらし、かつ帝国主義列強からの防衛という高遠な目的があった。従って、この戦争は聖戦であった」と主張し、「大東亜戦争」を賛美する思想が根底を貫いていると聞く。それは朝鮮半島の植民地化、中国やアジア諸国への侵略を肯定していることになる。「大東亜共栄圏」という身勝手で空虚な構想のもとで、自国民を犠牲にし、侵略を受けた国の人びとに大きな損害、苦しみと痛みを与えたということを認識し、深く反省することが必要であろう。

そして、ここに先の戦争の指導者であったA級戦犯が合祀されているという問題。信教の自由が保障されている憲法下にあっては、誰しも神前で手を合わせることは自由であり、何らの問題もない。しかし、社会常識上、たとえ私人の立場でといっても、一国のトップが参拝することは、侵略を受けた国の人びとにとって屈辱と憤りを禁じ得ない行為であることは推し測ることができる。先日の朝日新聞の記事に「首相の靖国参拝はモラルの崩壊」という見出しで、米公聴会の模様が報じられていた。そこでは、ナチスドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の生存者であるラントス議員(民主党)が「A級戦犯の合祀されている靖国神社に首相が参拝することは、ヒムラー(ナチス親衛隊長官)、ヘス(ナチス副総統)、ゲーリング(ナチス元帥)の墓に花輪を手向けるのに等しい」と強く批判している。また、遊就館についても「日本がアジアを帝国支配から解放した、と若者に教えている」と述べている。

「お国のために」「靖国で会おう」と誓い合って死地に向かった若い兵士たちの心情を語ることばをよく耳にする。軍国主義、戦時下の状況であれば、それも理解できなくもない。ただ、それは心の底から出たものなのだろうか。私ならば、故郷の父母や兄弟を思い、友の顔を思い浮かべながら、無念の気持ちで向かっていったであろうと思う。いずれにしても、そのような心理状態にさせた軍国教育、指導者によるマインドコントロールを考えると、教育のこわさと重要性を改めて実感する。思い起こせば、過去日本の朝鮮半島植民地化政策に「皇民化」、神社参拝の強要があったが、それが今の靖国参拝問題とどこかで重複して見えてくるのは私だけだろうか。

自民党総裁となった安倍晋三氏は、先日「歴史認識は専門の歴史家に任せればよい」と発言した。この発言に関し、某新聞の社説を借りれば「邪馬台国がどこにあったかという遠い過去を論じているのではない。たかだか50〜60年前の戦争の評価ではないか。どこが間違っていたのかを反省し、教訓として現代に生かすのが政治家としての責任である。それは侵略を受けた国と新たに良好な関係を築くための最も大切な土台である。20世紀の戦争にかかわる歴史観を語れる国のトップを選ぶことが、真の『世界に通用する国』になる道ではないか」。

それぞれに生まれ育った環境、置かれている立場によって主義主張があるのは当然で、それは民主主義の基本である。しかし、歴史を過去のものとして見るのではなく、歴史から学ぶ姿勢が必要であり、少なくとも学校教育なり社会教育において、近現代史を正しく教え、真実を子孫に伝えていくことが重要ではないかと思う。

最後に、旧植民地出身者にとっての歴史(認識)問題はまさに人権問題の根幹にあるものだと思う。今後、過去の戦争にかかわる歴史認識を議論するときには、「人権」を土台としてほしいものである。

多民族共生人権教育センター アドバイザー 金子 則夫

 

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